いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。
ここ最近のブログは、プーチンのウクライナ侵攻についてのコメントばかりが続いていた訳
なんですが、今週3月15日(火)にまる1日間、このブログが閲覧出来なくなるトラブル?が発生しておりました。(もちろん、作成者としてのログインアクセスも出来ませんでした。)
まあ翌16日には、閲覧可能に戻ったのですが、Jimdo 自体は普通に稼働していましたので、
私のブログページだけの1日閲覧遮断であったことが判りました。何故なのか?、調べてみたのですが、多分、13日にFB(メタ)が、SNS上でのロシア、プーチンに対する暴力的表現の
緩和を撤回する!、と発表したニュースによる影響であろう、と判断した次第なのです。
私のブログ、それ程過激な表現ではないと思うんですけどねえ、、、まあ各社とも、ヘイトを
AIがパトロールしていますからねえ、内容を確認するために、一時遮断したのだろうと思います。
その後疑いは晴れて良かったのですが、とばっちりを受けたのは、奈良武次さんの部分かなあ?、
再度前回ブログの方も、是非ご確認下さいませ。
さて、ウクライナ問題で世論が沸騰する中、それまでの最重要課題であったハズのコロナ問題が、
あまり注目されなくなって来ました。コロナはもう2年以上も継続していますから、関心が薄れて来て
いるのでしょうかね? まあウィズコロナと言う点では、普段の日常になりつつあるのだ、と言うこと
なのでしょう。そんなコロナ状況の中、ある見過ごせない記事が、毎日新聞のデジタル版に掲載されて
いたので、突然なんですが急遽、これをご紹介したいと思います。
先週3月12日の、毎日新聞、新型コロナウィルス特集での記事なのですが、タイトルが「誤った説だ!、
科学者が突きつけた怒りの質問状に、感染研の答えは!」、と言う記事なんです。(有料記事なので、
どこまで無料で読めるかは不明なんですが、、、)
で、記事の内容は、国内のコロナ対策の基になる国立感染症研究所(感染研)の報告書が、WHOなど世界の
最新科学的知見と異なっている!として、科学者達が公開質問状を出したが、感染研の返答は、従来の見解の
ままだった!、という内容なのです。それがどうした?、と言われそうなんですが、これ、今までの感染対策が、
間違っていたんじゃない?、と言っているのですよ。つまり2年間無駄な対策をやって来て、今後も改めないぞ!?
と言う意味になるのですよ。間違いを改めない!、開き直りなのです。さてその最新科学的知見というのは、
コロナの感染経路が、エアロゾル感染(呼気・空気感染)である、ということになっているのに、感染研側の
返答は、感染経路は、相も変わらず接触感染と唾液の飛沫感染である!と言っている、と言うのです。ですから
感染対策方法も、相も変わらず、手洗い・手指消毒、飲食店での宴会・酒の提供禁止、なのです。マスクの
着用は別として、従来の対策の多くは、効果の無い対策(意味のない対策)だった!?、にも拘らず、今後も
従来の対策を、そのまま続ける!!、と言う意味なんですよ。良く読むと、かなり衝撃的な内容ですよね。
実は私、以前からこのブログで、このこと(空気感染)を指摘していたのですよ。過去の多くの時候のコメントは、
削除してしまったのですが、コロナ感染が広まった2020年当初から、私は空気感染(呼気・エアロゾル感染)を
指摘しておりました。ホントかいな?、とお思いなら、2020年3月21日付の過去ブログを、ご確認下さいな。
要は、空気感染であれば、現在も商業施設などで続けられている、手のアルコール消毒とか、毎回ドアノブやテーブルの
アルコール拭きなどは効果は無い!、のですよ。手が荒れるだけなのです。空気感染が主原因であるのなら、空気を遮断
することは出来ませんので、対策は、マスク着用とか換気、3密回避ぐらいしか無いのですよ。接触感染の対策である
アルコール消毒だとか、飛沫対策としてのアクリル板の設置などは、実はあまり効果・意味が無かったのです。
しかし、政府のコロナ対策専門家会議や分科会は、これを認めません。何故なら過去2年間の対策・提言を否定することに
なってしまうから、なんです。要は体裁が悪いから?、です。ですから実は、少しづつ軌道修正して来ているのです。
2020年の感染拡大当初は、感染経路の追える、接触感染対策(アルコール消毒・防護服)が中心で、その後飛沫感染対策
としてマスク・フェイスシールドが登場し、ワクチンが実用化されてからようやく、エアロゾル感染という、良く判らない
言葉も出るようになって来たのでした。しかし空気感染と言う言葉は、実は現在でも、決して使われないのですよ。
ですから、専門家会議の面々も、薄々は気づいていたのですね、でも今更言い出せないというか、、、情けないですね。
ではどうして、2020年初めの段階で、私がそのこと(空気感染)に気づいたのか?と申しますと、何とTVのNHKスペシャル
なんですよ。NHKは、2020年2月からコロナ感染をずっと追いかけていて、月に1度以上のペースで、NHKスペシャルを
放送していたのですが、私全て録画しているのですよ。問題はその第1回目コロナ対策専門家会議のメンバー、仕事場、会議
の様子の映像なのです。当時の感染状況は、既に市中感染が広がりつつありました。しかし何とメンバー誰も、マスクを着用
して仕事をしていないのですよ。(2月~3月)ノーマスクで、3密状態の中で、口角泡を飛ばしながら、対策論議をしている
のでした。ところがです、4月の映像になりますと、メンバー全員マスクを着用して、同様の会議をしている訳なんです。
私はピンと来ましたね。ああ、このメンバー全員、2月の段階では、接触感染しか疑っていなかったのだなあ!とね、、、
コロナ対策としてのマスクの着用は、実は後から出て来たことが、映像から、良く判るのですよ。(次回へ)
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悲惨なウクライナ戦争は、益々長期化・泥沼化している様相なのですが、大量虐殺をしようが核兵器
を使用しようが、ロシアが勝利するという結末だけは無さそうな状況です。既に敗北しているのです。
世界中の国々が、誰もロシアの勝利を認めないからです。ロシアがどんなに強弁しようが、敗北への道
まっしぐらなのですよ。ですから、今抵抗し、苦しんでいるウクライナの人々を支援しましょうね。
前回、ウクライナ戦争後のロシアに対する戦後処理について、大日本帝国の解体処理を参考にするべき
と、提案させて頂きました。国際司法裁判所による、戦争裁判(モスクワ裁判)ですわね。
で、極刑が予想されるA級戦犯達は別として、ロシア軍将校、政治家、政府官僚、公安警察、財界人、
御用マスコミ・文化人、など数多くのB級・C級戦犯に対する刑罰についてなんですが、やはりロシアですから、懲役刑が良いと思うのです。懲役刑?と言っても、刑務所で家具などを作らせる訳ではなく
、日本人がやられたシベリア抑留ならぬウクライナ抑留で、ウクライナ復興の強制労働をさせるべきと
考えるのです。ロシア人が破壊した橋や道路、建物・都市インフラなどを、ロシア人自身の手で再建
させるのですよ。これにより、自分達の犯した罪を、痛感・反省させることが出来るハズなのです。
そしてロシア戦犯達の労働を指示・監視するのはもちろん、ウクライナ人です。いかがでしょうかね?
またこのところ、ロシアによるウクライナ侵攻の話題ばかりを取り上げてしまい、肝心の奈良武次氏
については、ほとんどコメントしていない状況でした。ブログタイトルに偽りあり、ですわね。
そこで今回こそは、きちんとご紹介しようと思う次第です。 そこで以下、
奈良武次(1868年~1962年)は、明治から昭和初期の陸軍軍人(陸軍大将・男爵)です。詳細に
ついては、ネット等でご確認下さい。 で、彼の特異な経歴というのが、1920年(大正9年)~
1933年(昭和8年)まで、続けて昭和天皇の東宮武官長⇒侍従武官長を歴任し、昭和天皇の側近として
帝国陸軍とのパイプ役を担った!、と言う点にあるのです。かなりすごい人物だったのですね。
昭和天皇が皇太子時代の東宮武官から始まり、東宮武官長⇒天皇に即位してからの侍従武官長
まで、13年間も一貫して天皇の侍従武官を務めたのですから、昭和天皇の信任もそれなりに厚かったよう
なのです。そこで更に特筆すべき事例は、1931年(昭和6年)9月に勃発した帝国陸軍(関東軍)による
柳条湖事件により、満州事変が引き起こされ日中戦争に拡大して行った訳なんですが、この時、昭和天皇は、
軍部の戦争拡大方針を何とか押し止めようと、奈良武次侍従武官長を通じて、関東軍が戦線を拡大しないように、
直接伝えているのですよ。天皇の意思を、奈良武次に伝えている訳です。何と言っても大日本帝国憲法では、
軍の統帥権は、天皇にあるのですからね。本来はその意向に、必ず従わねばならない訳なんです。
しかしまあ結局は、国内世論(イケイケ)の圧力もあり、軍部の独走を抑えられなかった訳なんですが、
侍従武官長奈良武次が、昭和の歴史の転換点に、はっきりと関わっていたことが判るのです。
満州事変のやり方は、現在のロシアによるウクライナ侵攻と同じようなやり方ですわね。もちろん当時の
関東軍が、ロシア軍です。でもどうして、昭和天皇が奈良武次を通じて、戦線不拡大を伝えていたことが
判るのか?、と言うと、「侍従武官長 奈良武次日記」(2000年出版)で、書かれているからなのです。
しかし奈良武次にもそこまでの力は無かったようです。結局、昭和天皇のご下問は、うやむやにされてしまった
のでした。天皇の統帥権など、反故にされていたことが明らかになったのでした。従って軍部は、昭和5年の時
とは逆の意味で、統帥権干犯問題を引き起こしていたことが判るのです。
奈良武次も、侍従として昭和天皇の意向を知りながら時流に流され、意向を具現することは出来なかったのでした。
ですから、2000年(平成12年)に奈良武次日記が出版された際も、「ああやっぱりね、」と言うことで、
奈良武次があまり注目されることはありませんでした。
ところがなのです、昨年NHKにより、「昭和天皇 拝謁記」(田島道治)の存在が報道(NHKスペシャル)され
ますと、昭和天皇の今まで語られなかった戦争への悔恨が明らかになり、大きな反響を呼び起こしたのでした。
田島道治氏は、戦後初代の宮内庁長官でした。彼に吐露した昭和天皇の戦争への深い悔恨の心情は、今まで知られて
いなかった昭和史研究のための、新発見資料になったのでした。
そして「昭和天皇 拝謁記」の出現により、同時代資料としての「侍従武官長 奈良武次日記」も、比較資料
として、俄然注目されるようになったのでした。そして改めて当時の昭和天皇が信頼を寄せた奈良武次を見ると、
侍従武官長奈良が、必ずしも戦争拡大論者ではなかったことが判るのです。ですから昭和天皇は、プーチンに
ならずに済んだのですよ!。 (次回へ)
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先週の予想通り、ウクライナ戦争が長期化していますね。原発攻撃や、民間施設の空爆といった
邪悪な戦争犯罪によって市民の恐怖を煽っても、ウクライナ国民は音を上げないのですね。
こうなると仮に、ロシア軍の無差別全面攻撃によって、ウクライナ全土が焦土となったとしても、
ウクライナは降伏しないでしょうね。長期ゲリラ戦となって戦争は続くんです。そしてそれは即ち、
プーチンロシアの敗北、崩壊を意味します。ロシア軍では、ウクライナ西部は落とせないからです。
(ロシアの巡航ミサイルは、どこに飛ぶか判らないから。)だから核戦争も出来ないのですよ。
つまり、北斗の拳のケンシロウ曰く、「ロシアよ、お前はすでに死んでいる!」状況なんです。
そこで一足早く、ロシア戦後処理!についてなのですが、プーチンが処刑されて、はい戦争終了!!
じゃあダメなんです。暫くすると、第二第三のプーチンが再び現れますよ。何故なのか?なのです。
ロシアは、僅か30年前までソ連でした。プーチンもソ連の教育を受け、ソ連に郷愁を感じていた訳
です。ソ連時代は良かった!、という大ソ連邦復活を望むようなロシア人が、高齢者層を中心に、
実は大勢いるのです。彼らがソ連帝国復活を望む、プーチンの支持者達です。だから新しい支配者が
プーチンから変わっただけじゃあダメなんですよ。ロシア人の国民意識自体が変わらねばならないの
です。では、このような旧ソ連意識を根絶するためには、いったいどうすれば良いのでしょうかね?
私は、日本の戦後処理を参考にすべきと考えます。大日本帝国から、民主国家日本への移行経験ですね。
まずは、国際司法裁判所による、ロシアの戦争犯罪者の裁判ですね。そう、東京裁判ならぬモスクワ裁判
です。プーチンらのA級戦犯の裁判だけではなく、ロシア軍の将校、ロシア政府の高官、公安警察、財界人、
御用マスコミ、など数多くのB級・C級戦犯も、裁判を受けなければなりません。 それも公開裁判が望ましい
と思います。その意味でプーチンは、処刑されるより、生きて捕えられて欲しいと思いますね。
公開の場で、B級・C級を含む数多くの戦争犯罪者達が裁かれることによって、ロシア国民の意識が変化する
だろうと思います。当然モスクワ裁判の結果として、公職追放や教育改革も行われるべきでしょうね。
どうですか?、ロシア帝国の戦後処理は、まさに大日本帝国の解体作業と同様ではありませんかね?
しかしロシアと大日本帝国、専制国家と言う点では同様なんですが、ひとつだけ、大きな違いがありました。
それは大日本帝国の昭和天皇が、プーチンにはならなかった!、と言う点なんです。昭和天皇は最後まで、
戦争への道を押し止めようとしていた人物だったのでした。
さて肝心の写真の人物、奈良武次氏についてなんですが、もうお忘れになってしまいましたかね?
ウクライナに関するコメントが長くなりまして、奈良武次氏の紹介が延び延びになってしまっておりました。
誠に申し訳ございませんでした。で、写真の奈良武次氏とは、一体どのような人物だったのでしょうか?
実は、昭和天皇がプーチンにはならなかった史実と、深く関わっていたのが、この奈良武次氏だったのです。
歴史的にはあまり目立つことのない?奈良姓の一族の中では、かなり特異な経歴の人物だったのです。
ちょっとびっくりですよね? これで多少は、ウクライナ問題とつながりましたかねえ?(次回へ)
いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。世界中が大変なことになっていますね。
遂に全面侵攻が始まったロシア・ウクライナ戦争は、果たしてどこまで続くのでしょうかね?
第三次世界大戦の一歩手前まで来ている!と考えるのは、うがちすぎですかね? 危険な情報戦が続いている訳なんですが、ロシアのプーチンは、一歩も引く気は無いように見えますが、何故でしょうか?
旧ソ連時代から続く軍の侵攻、数々の先例から来ていますね。新しいところでは、2014年のクリミア
紛争や2008年のグルジア紛争(南オセチア紛争)が、似た例ですかねえ? 古いところではハンガリー
動乱やプラハの春なんていうのもありましたねえ、、、ロシアは、常に侵略戦争をして、勝って来て
いるんですよね。だからプーチンも、やれば勝てると確信して軍事侵攻を続けているんです。
何せプーチンは、元ソ連のKGB諜報部員(東独)ですからねえ、心理戦には長けている訳なんですよ。
やくざの抗争と同じで、引いたら負けだと、判っているからなんですねえ。で、もう一方のウクライナ
は、どうなのでしょうか? ロシアの侵攻に怯える、か弱い子羊なんですかねえ? 実は全然違って、
元々ソ連邦の構成員ですし、現大統領のゼレンスキーも前職は役者ですから、一筋縄では行かない人物
だと思いますよ。多分ウクライナは、ロシアが侵攻して来ても、クリミアの時のようにはならない、と
思っていますよ。緒戦では大敗北したとしても、ウクライナ全面侵攻ならば、西側諸国は援助してくれる
ハズだし、局地戦・ゲリラ戦であれば、ロシア軍にも負けない、と思っていますよ。
理由は、クリミア紛争の時と違って、ウクライナ軍の士気が高いからです。またウクライナ国民も抵抗を示して
います。大統領も軍も国民も、一致団結してロシアに抵抗しようとしているのですよ。
一方のロシア軍はと言うと、数と戦力ではウクライナ軍を圧倒しているものの、兵士の士気は決して高くない
んですね。何せ兄弟国に侵攻しているのですからね。緒戦で勝っている間は、興に乗って戦うのでしょうが、
一旦反撃に会って犠牲者が多数出て来ると、怖気づいてしまうのですよ。抵抗が続けば、ロシア軍は総崩れに
なりますよ。その結果ロシア軍の撤退・和平、と言う状況にでもなれば、プーチン政権は持たないでしょうね。
欧米NATO軍は現在、ウクライナでのロシア軍の侵攻状況(兵器・軍備・作戦等)を精密に分析していますよ。
そこで多分、上記のような筋書きを描いていると思われます。しかしプーチンがこの敗北を飲むとは思えません。
そうなるとプーチンは、核兵器を使用する可能性があります。もはや、自暴自棄ですわね。
これで第三次世界大戦になる訳ですが、当然ロシアが勝利する可能性は無く、人類滅亡に至る道なんですが、
この結末は、世界中誰もが知っている常識ですね。ですから核兵器は、脅しにしか使えないのですよ。しかし
相手が脅しに屈しないとすれば、核を使用せざるを得ない状況に、追い込まれてしまうのですね。
現在はプーチンが、ウクライナ軍側のクーデターを煽っていますが、もしプーチンが核兵器のボタンを押そうと
すれば、ロシア国民を滅亡に導く者として、ロシア軍内での反乱が起きるでしょうね。そしてプーチンは、
ロシア軍によって処刑されますよ。
いかがでしょうか?、このような空想、でも現実になるかも知れませんよ。ですから、ケセラセラ、なんです。
さて肝心の写真の人物、奈良武次についてなんですが、ウクライナに関するコメントが長くなりましたので、
またまた次回に書かせて頂くことになってしまいました。誠に申し訳ございません。
いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。コロナもまだまだ大変なんですが、
もう2年以上も続いているので慣れっこになってしまっていますね。まあ、なるようになるさ、
と言う感じですかね? 実はこの、なるようになるさ! という感覚が、今、非常に重要であると
私は、別な場面で思っているのです。
何のことか?と申しますと、現在世界で緊迫しているロシア・ウクライナ情勢について、なんです。第三次世界大戦が近づいている状況ですね。ロシアと米国の戦争では済まないのですよ。世界中が
巻き込まれるのです。ロシアは北朝鮮と同じで、多分経済制裁には屈しませんよ。何故なら経済よりも軍事が優先の国だからです。但しその軍事力は、脅しに使う分には有効ですが、実際に軍事行使を
してしまえば、もはや取り返しのつかない状況になります。やくざ抗争と同じです。ゼロか100か
なのですよ。日本も例外ではなく戦争に巻き込まれるでしょうね。中国も参戦してくるかも知れませんね。まさに世界大戦になるんです。そして最後は人類滅亡の核戦争になるのでしょうね、、、。
核戦争になれば人類滅亡で、誰も勝者がいないことは、皆誰もが判っているにも拘らず、突き進んでしまうのは、お互い自分達が正義で、相手は邪悪であると信じているからなんですね。その信念は
宗教心と同じです。信念が理屈・論理を超越してしまっているんです。そして最後は正義のために殉教しよう
とするのですよ。ISイスラム国かね? 自分達は正義なので、悪を滅ぼすためには、何をやっても許される?
のですよ。手段を選ばず、です。こうして世界中が、世界戦争に突き進んで行きます。最後には核戦争にまで
行き着くのです。
日本国民の中でも、この際戦争に参加して、奪われた北方領土を取り戻して恨みを晴らせ!、と言う人々も
出て来るでしょうね。そうなると中国だって、台湾・尖閣諸島に侵攻して来るのですよ、、、。
さて、本当は戦争を望まない我々としては、いったいどうすれば良いのでしょうかね? そこで思い立った
のが、なるようになるさ!、の精神なんです。戦争を始めた人々は、正義のために、命も恐れずに戦って
いるのですよ。であれば、戦争を望まない我々も、命を恐れずに、なるようになるさ!を貫くべきなのです。
戦争反対のために、戦争に参加してはいけないのです! 命を恐れずに逃げる、のですよ。
どうせ我々も、いつかは必ず死ぬのですから、死を恐れる必要は無いのです。なるようになるだけなのですよ。
戦争に参加するなどという感情の誘惑に負けず、今を懸命に生き抜けば良いのですよ。 ケセラセラ!!
で、ここで突然、奈良姓の由来ブログテーマになるのですが、皆さんは、奈良武次という人物(写真)の人生を
ご存知でしょうか? 実は、奈良姓でありながら、第二次世界大戦の開戦に深く関与した人物だったのですよ。
これでつながったかな?(次回へ)
いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。 ブログ再開の第四回目です。
さて現在も猛威を振るっているコロナオミクロン株ですが、私の仕事先でも遂に、陽性者
が出てしまいました。コロナ発症者が隔離されるのは致し方ないとして、むしろ問題なのは
濃厚接触者です。無症状で元気に仕事をしていても、いきなり隔離・自宅待機されてしまう
からです。私の仕事先でも、一人の陽性者が出ただけなのに、数人の自宅待機者が出てしまいました。一挙に5人も仕事を休まれると、会社でも当然、仕事に支障が出て来る訳です。
複数の陽性者が出た場合などでは、職場が回らなくなり、休業に追い込まれることは当然
なんです。濃厚接触者を追跡する保健所の機能は、既にパンク状態にありますから、現在は
自主申告になったんですね? でも多分、濃厚接触者だと申告する人は、誰もいないように
思われますので、ますますコロナ感染は拡大していくことになるのでしょうねえ、、、、。
で、前回のブログでは、奈良姓の本家筋に当たる成田姓の分布が、奈良姓の分布状況と同様に、
秋田・青森に相対的に多いことをお示ししました。(添付図ご参照)また、西日本には成田姓が
ほとんどいないようにも見えますね。しかしその考え方は間違いです。成田姓は奈良姓とは違い、
格段にメジャーな姓なんです。ですから全国各地にまんべんなく分布しているハズなのですよ。
元々成田の地名は、田んぼを成らした(開墾した)処から来ているので、全国各地に成田の地名が
点在していて当然なのです。そしてその成田地名を姓として名乗った、鎌倉期の武士団も、多数
あったハズなのです。武士団なんて要は、武装した農民ですからね。ところがです、実際には、
西日本地域に成田の地名などは、ほとんど見られないのですよ。(京都の新成田ぐらい?)
そして成田姓の方も、東日本地域に偏在しているのでした。これ意外と知られざる事実なんです。
更に、偏在している地域を見ると、青森・秋田・北海道なんですね! これらの地域で比率が高い
と言うことは、これらの地域で、成田姓の人々が、相対的に繁栄した事実を示しています。
この傾向って、分布を見る限り、実は奈良姓の傾向とまったく同じではないかと思われるのです。
とすれば、全国各地に多数存在する成田姓の方々も、武蔵国成田郷を発祥とする奈良姓の本家筋、
成田氏から派生しているのだと言える訳なのです。ルーツはひとつなのですよ!
そして特に青森・秋田に、成田姓が偏在している理由は、奈良姓と同様、戦国期の九戸政実の乱
での敗北により、鹿角四頭の成田氏が、鹿角の所領を追われた史実による影響なのですよ!
でも、これって本当なのでしょうか? 所詮武家の頭目が、所領を追われただけではないのか?
と思いますよね? 鹿角由来記でも、敗北した大湯氏(奈良氏)の兄弟が、津軽に落ち延びた、
と言うだけのお話しですよね? そんな人口動態に変動を及ぼすような影響が、実際にあった
のでしょうかね? 実はこの点こそが、奈良姓・成田姓の分布の謎を解くための、最大のカギに
なるのです。(次回へ)
いつもこの、奈良姓の由来ブログをご覧いただき、誠に有難うございます。
今回は、ブログ復活の第三回目です。
全国で大爆発中のオミクロン株なんですが、症状自体は軽く、治癒期間も3~5日と、以前のデルタ株に比べて短くなって来ているようです。いよいよ普通の風邪に
近づいて来ているように見えます。そこで英国では、マスクも不要にすると、宣言
されましたね。これ、どうなんでしょうねえ? 日本では、風邪にはマスク着用と
相場は決まっているんですけどねえ。私以前から申し上げている通り、コロナは
接触感染なんかじゃあないんです。コロナは空気感染です! ですからマスク着用
は、必須だと思います。未だに接触感染をアピールするのは、中国ぐらいですよ。
中国でのオミクロン発生は、カナダからの手紙が原因!だそうですからね!!、
平尾昌晃・畑中葉子かあ??、、、
さて話はガラリと変わりまして、奈良姓の本家筋、成田姓の皆さんの戦国期以降
の動向についてなんですが、皆さんご存知の通り、秀吉軍に敗れた北条方の成田氏一族は、
忍(埼玉県行田市、加須市周辺)の所領を失った訳ですが、成田氏長の娘甲斐姫が、
秀吉の側室になったことで、再び大名として下野国那須郡烏山に領地を得たのでした。
まあ領地替えですわね。ですから忍から烏山へと、成田氏一族は再び移住をしている訳です。
私はこの時点で、成田姓が、全国各地に散らばったのだろうと考えています。(特に愛知県豊田市など)
そしてその後の江戸初期の、お家騒動で成田氏大名家は改易(所領没収)になってしまったのでした。
そこで添付の日本地図なんですが、実はこれ、現在の成田姓の人口分布マップ(名字由来netより)
なんです。名字由来netさんですから、地図表示は、成田姓人口の絶対数表示ではなく、相対的ランク
(比重)で地域を表しています。つまり他の姓と比べて、相対的に成田姓の比重が高い地域を、順に
より濃い赤~淡い赤で表示しています。現在では成田姓は、奈良姓などと違い、全国各地に広く分布する
かなり一般的な姓ですから、絶対数表記では、東京・大阪など大都市が一番多い表示になってしまい、
他の姓との比較差異が判らなくなってしまうのです。全国どこにでもいる成田姓か?!
でもこのようなランキング表示であれば、成田姓の分布の微妙な差異(違い)が、良く判りますよね。
要は成田姓は、東日本地域、特に秋田・青森・北海道に多く分布し、愛知県以外の西日本地域には、
さほど分布していない(平均値以下である)ことが判るのです。あくまでも他の姓との相対的差異を
際立たせるための表示方法なんです。まあそれでも、かなり意外・特異な分布結果ですよね?
どうして秋田・青森?、どうして北海道?、またどうして愛知?、等々。
何となく、奈良姓の全国分布と似ていませんかねえ?、、、
さてこの成田姓の実態・事実を、どう読み解くのか?、が重要になって来るのです。(次回へ)
いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。復活第二回目です。
世の中、オミクロン株大爆発の様相なんですが、2年前に比べ、さほどパニック
にはなっていないように見られます。やはり2年間の蓄積は大きいようです。
コロナが、普通の風邪になる日も近いのかも知れません。尾身会長の最近の発言
は、この辺りを言っているような気がします。コロナ検査キットも不足している
みたいですが、私もはや、無症状ならば、検査する必要は無いように思えます。
さて奈良姓の本家筋、成田姓について見て行く訳ですが、東国武士団成田氏の
名前が、歴史上に現れて来るのは、平安末期の保元物語あたりからでしょうか。
源義朝(頼朝・義経の父親)の家臣として成田太郎=長男成田助広の名前が出て
来ます。鎌倉幕府誕生以前から、源氏の家臣だったのですね。ですから当然、
成田助隆の三男である奈良三郎高長の子孫も、鎌倉御家人となって当然な訳です。
(添付の成田氏系図でご確認下さい。)
鎌倉期に入ると成田氏の名前は、吾妻鏡に、幕府家臣団として頻繁に出て来ます。
で、この成田氏なのですが、系図を見る限りは一本の系統で繋がっているようなの
ですが、実際は途切れておりまして、鎌倉幕府滅亡と共に、成田氏本家も同時に没落した
ようなのです。その後の成田氏を引き継いだ(奪った?)のは、親戚筋の安保氏でした。
南北朝期に、鹿角の成田氏惣領家(毛馬内氏)では、南朝方として敗北してしまいます。
とすれば、安保氏は北朝方(室町幕府方)であったと思われます。ですから家は残って
系図にある資員から先は、安保氏系に代わっているのです。※「郷土忍の歴史」稿本より
つまり、室町期から以降の戦国大名成田氏は、安保氏として考えるべきなのです。
ですから、鹿角の成田氏の系統も、毛馬内氏に代わり、安保氏系の大里氏に、惣領家が
代わっているのです。つまり鹿角の惣領家は、成田氏=大里氏になった訳なんです。
ところが後代の江戸期に編纂された鹿角由来記には、その辺の事情が何も記載されていない
のですねえ。(まあ敵の南部氏の編纂ですからね。)しかしこのように見ると、成田氏の流れは、
関東の地と、遠く離れた東北は鹿角の地で、実は密接に連動していることが良く判るのです。
ですから、成田長親がのぼうの城で、豊臣秀吉軍(石田三成)と戦ったと同様に、遠く離れた
鹿角の地では、九戸政実の乱で、大里(成田)修理と大湯(奈良)四郎左衛門は、秀吉仕置き軍と
戦ったのです。誰も指摘していないけれど、実はちゃんと連携・連動しているんですよ!
さてこの成田姓の皆さん、その後は、いったいどのようになって行ったのでしょうかね?(次回へ)
再びブログにアクセス頂き、誠に有難うございます。奈良姓の由来・歴史ブログを、半年ぶりに
復活させて頂きました。 現在市中では、またコロナ・オミクロン株が大爆発しておりますが、
奈良姓の皆様には、お変わりございませんでしょうか? 感染対策には、充分ご留意下さいませ。
また、今年のNHK大河ドラマが「鎌倉殿の13人」ということで、平安末期~鎌倉期が舞台になる
訳で、武士の姓が次々誕生し、我々奈良姓が生まれた時期とも重なりますので、鎌倉御家人奈良氏
なども、ドラマに登場しないかなあ?と、期待して見たいと思います。(まあ無理か、、、)
さてブログ再開の初回は、我々奈良姓の始祖とされている、奈良三郎高長の本家筋に当たる、
成田氏についてです。成田氏系図によれば、初代成田助高の三男が、奈良三郎高長だそうですから
ね。 成田氏は、平安末期の東国武士団の勃興期に、武蔵国幡羅郡成田郷(現在の熊谷市上之)に
領地を得た成田助高が、成田姓を名乗った事に始まると言われております。 ※ちなみに、成田氏
発祥地の記載が、武蔵国騎西郡成田郷となっている文書が多数ありますが、当時、騎西郡などと
いう郡は、存在しませんでしたので、念のため。(室町期の成田氏領地変えで、混同したか?)
で当時の東国武士団は、獲得した領地の地名を、姓として名乗る風習があったので、成田の地に
入植した助高は、成田助高を名乗ったのでした。 要は、この成田の地は、俺(助高)のもの
だぞ!、というアピールのためですわね。当時の姓には、このような意味があった訳です。
東国武士団の姓は、このような形で出来上がって来ました。つまり新領地の地名の方が先にあった、
ということですね。我々奈良姓の場合も同様で、幡羅郡奈良村(現熊谷市奈良地区)に領地を得た
から、奈良三郎高長を名乗った訳です。東国武士団の姓は、このように発生して来ているので、
同じ武士団と言っても、それ以前の源氏や平氏の姓(貴族の姓)とは、姓の成り立ち自体が全く
違うのですよ。貴族の姓(かばね)は、皇族の臣籍降下によって与えられたものです。
でもこれら、成り上がりの東国武士団が、武士の世、鎌倉幕府を打ち立てたんですけどねえ。
で、武士団成田氏について復習なのですが、元々奈良氏とは同族関係になりますので、鎌倉期に入り
ますと、鎌倉御家人として、当然一緒に従軍したり移動したりする訳です。その顕著な例が、鹿角由来記
に記載のある、鹿角四頭による鹿角(秋田県鹿角市)入植な訳です。軍功に対する恩賞として、領地を
得た訳ですね。鹿角四頭とは、成田氏、奈良氏、安保氏、秋元氏の四氏族でしたね。そしてそれぞれが、
鹿角に新しい領地を得て、その領地名を姓として名乗ることになります。成田氏は毛馬内氏、奈良氏は
大湯氏が惣領家でした。それぞれの一族は、42の館(領地)に分かれて、鹿角郡全体を支配したのでした。
ところが戦国末期の九戸政実の乱で、豊臣秀吉の第二次奥州仕置き軍に敗れ、四氏族は鹿角の領地
を追われたのでした。ここまでは鹿角四頭について、割と広く知られた?お話しです。
(詳しくは、過去ブログをご参照下さい。)
さてここからは、私の独自説だったのですが、鹿角由来記にある大湯氏の兄弟が津軽に落ち延びた記述を元に、
鹿角の落人達が、秋田や青森に逃れて定住して行ったのだという仮説を、奈良家の例を元に展開して来ました。
江戸初期に、大和国より移住してきたとされる秋田奈良家は、鹿角から逃れて来た武士団奈良氏の末裔である、
という新説になりました。多分、秋田奈良家からは、真っ赤な噓をつくなと、猛反発が出そうですわね?
そこで私は、奈良氏以外の鹿角四頭各氏族のその後も判れば、私の説を立証することが出来るのではないか?
と考えた訳です。そこでブログ再開第1回目は、奈良氏の本家筋である成田氏のその後?、になったのでした。
乞うご期待です。(次回へ)
皆さま、大変ご無沙汰申し上げております。元眼底メディカルの奈良でございます。
昨年7月に、奈良姓の由来・歴史ブログを終了させて頂いてから、半年が経過しました。
ブログ・ホームページ作成サイトであるJimdoの、有料契約を解消したものですから、
てっきりブログページは削除され、新たな書き込みなどは当然出来ないものだと考え、
このブログの終了をご案内させて頂いたのでした。
ところがです、Jimdoはすごいですね、料金を支払っていないにも関わらず、過去の
ブログは削除されず、何と新たな書き込みまで可能だ、ということが判ったのです。
まあ実際は、このURLは複雑になり、従来のように簡単に検索したりが出来なくなり、
従来より、このサイトにアクセスすることが難しくは、なったんですけどね、、、。
それでも奈良姓の由来や歴史に関心のある方々は、アクセスが可能であり、ブログの
更新も可能である訳ですから、またブログを再開してみようと、思った次第なのです。
今後のブログテーマとしては、
①何故、青森県・秋田県・北海道にだけ、全国平均に比べ、奈良姓・成田姓が多いのか?
②逆に、奈良姓発祥の地 埼玉県には、奈良姓がさほど多くないのはどうしてなのか?
③新たな、奈良姓の著名人のご紹介。
などを考えております。
一人でも多くの奈良姓の皆さんに、このブログをご覧いただき、自身の姓の歴史を知り、
多くの皆さんと、奈良姓の輪が出来上がることを希望します。(続く)