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ロシアのプーチン、アメリカのトランプとも、最近はぶざまな様子が報じられるようになって来ました。権威権力を振りかざす
者達の威光は、どうも長続きはしないようです。中国の習近平ももうすぐかなあ?、、、
さて前回は、九州で唯一、奈良姓の比率の高い大分県の、奈良姓地域偏在の歴史的理由について、新しい考え方、新説を
展開させて頂きました。もしかすると、今まで、誰も気づいていなかった奈良姓の存在理由(新説)だったかも知れません。
豊臣政権末期の徳川家康による、細川忠興に対する豊後6万石の加増から、豊前中津への移封が原因で、三河の細川姓・奈良姓
両農民が中津・宇佐へと派遣されたからだ、という新説でした。この説により、大分県中津市や宇佐市に、細川姓や奈良姓が、
比較的多く存在する理由と、逆に三河岡崎に、細川姓も奈良姓も現存していない理由を、同時に説明出来る説になったのでした。
そして今回は、掲示地図上で、別に色が濃い訳でもない神奈川県について、なのです。どうして神奈川県なのか?、と申します
と、名字由来netさんによると、東京、青森、埼玉に次いで、奈良姓の絶対人数が多いからなんです。東京はそもそも絶対人口が
多いので、どの姓であろうが絶対人数ではほぼ1番になるので、1位は当然です。2位青森は鹿角奈良氏の落ち延び先として繁栄、
3位の埼玉県も元々の奈良姓発祥地として、それなりの人数がいるハズなので、何となく理解出来るのです。しかし神奈川県に
第4位の絶対人数が存在するとは、ちょっと意外だったのです。まあ神奈川県も東京と並ぶ大都市圏なので、名もない奈良姓でも
絶対人数ではそこそこの人数になるハズ、という考え方は可能かも知れません。人口に応じてまんべんなく分散していれば、その
ように考えることは可能だと思われます。しかし実は神奈川県内でも、地域による偏在が見られるのですよ。とすると、絶対人数も
多いので、これは取り上げない訳には行きません。 と言う訳で今回は、神奈川県の奈良姓の歴史について、考えて行きます。
⑨神奈川県:神奈川県の奈良姓人口は3200人程で、県の人口は919.4万人ですから、人口比率は0.0348%であり、全国平均より
やや多い程度です。ところが厚木市0.09%、相模原市0.085%と、この2地域だけが、何故か県平均値より2倍以上
奈良姓の比率が高いのです。逆にその他の地域は大体県平均値以下なのです。奈良姓の絶対人数が多いだけでなく、
地域による偏在も存在することから、やはり神奈川県の歴史的理由・原因も、考えなければならない訳なのです。
奈良姓の県ごとの絶対人数の多さで比べると、東北(青森県)は別として、東京、埼玉、神奈川の順になります。
これを奈良姓発祥の地とされる埼玉熊谷市から見ると、埼玉⇒東京⇒神奈川という移動ルートが見えて来るのです。
これ、一体何でしょうか?、即ち神奈川とは、鎌倉のことです。ということは、鎌倉期の鎌倉街道なのですよ。
さて、どういうことか? 鎌倉街道とは、東国鎌倉に誕生した、初めての武家政権鎌倉幕府を守るため(いざ鎌倉!
のため)に、全国的に整備された各地と鎌倉を結ぶ、街道網のことです。この鎌倉街道を、御家人奈良氏誕生の地、
武蔵国幡羅郡奈良村(現埼玉県熊谷市奈良)から見ると、どうなるか?ということなのです。奈良村から鎌倉までは
約120Km、2日間の行程です。「いざ鎌倉!」となっても、すぐに駆け付けることは出来ません。また当時の御家人達
には、鎌倉幕府を守り、幕府を維持するための鎌倉番役(当番)という定期的な出仕義務もありました。これらに
即応するために、古代からの街道、東山道とは別に、関東に鎌倉街道が整備されて行ったのでした。
さて当時の鎌倉街道には、どのようなルートがあったのでしょうか? これを示したのが、右図掲示の鎌倉街道図
です。関東には大きく分けて上道、中道、下道の3ルートがあったことが知られています。奈良氏が利用したルート
は当然、熊谷市に最も近い、上道ルートであっただろうと考えられます。多分、同郷である成田氏や別府氏、玉井氏
らも、同じルートを通ったものと思われます。そして多分、いざ鎌倉や、鎌倉番役に備えるため、上道ルート上に、
中継拠点(奈良氏らの居住地)を作ったハズだろう、とも考えられるのです。
で、この上道ルート上の神奈川県内に、現在どのような都市があるのか?、真ん中の掲示地図で確認してみます。
鎌倉街道の上道ルートとは、鎌倉の西隣り、藤沢市側から斜め北西方向に北上するルートですが、まずこの沿線に
厚木市が存在します。そして厚木市から真北に北上すると、相模原市になるのです。いかがでしょうか? 御家人
奈良氏の一族が、このあたり(厚木市、相模原市)に待機・駐在していたなごりが、感じられませんでしょうか?
実を言うと、特に相模原市は、奈良姓だけでなく、成田姓も別府姓も玉井姓も、神奈川県内では断トツに多い地域
になっているのです。もしかすると鎌倉期の相模原市周辺には、同郷成田四氏(成田、別府、奈良、玉井)の集団
居住地(コロニー)があったのかも知れないと、思ってしまう程なのです。つまり、御家人の本領各地と鎌倉とを
結ぶ、鎌倉街道の整備だけではなく、いざ鎌倉に即応するための居留地(駅)も、鎌倉街道沿いに整備されたのだ、
という考え方が得られるのです。
また更には、上道ルート上だけでなく、中道ルート上にも、奈良氏の中継拠点が存在した痕跡?だってあるのです。
そのひとつが、真ん中地図で、相模原市の東側に位置する、「こどもの国」と表示のある地区なのです。「こどもの国」
の住所は、横浜市青葉区奈良町700です。昔の住所で言うと、都筑郡奈良村なんです。そう、奈良村が神奈川県にも
存在していたのですよ。いかがでしょうか? 御家人奈良氏との関係が窺えませんかね? 突飛な説でしょうかね?
実はもうひとつ、さいたま市の北区にも、奈良町(大宮の北、宮原駅周辺。)が存在するのです。 昔の地名では、
奈良瀬戸村と呼ばれた時期もあったようです。これらの地区を、奈良氏の本領である熊谷市奈良と、地図上で結ぶと、
鎌倉街道の中道ルートになるのです。上道ルートと中道ルート?、これは一体どういうことなのでしょうか?
でも何となく、鎌倉御家人奈良氏の痕跡が、おぼろげながら、見えて来ませんでしょうかね?(次回も神奈川県2へ。)
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