いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。
先週は、ブログ更新をお休みさせて頂きました。申し訳ございませんでした。
ゴールデンウイーク中の様子ですが、世の中は2極化が進んで来ているよう
に思えます。円安・物価高にも拘わらず、海外旅行や国内旅行は活況のよう
ですし、その一方で、大型連休中なハズ、にも拘わらず、毎日働いている人の何と多いことか!非正規労働なんで、毎日働かないと、食べて行けない訳なのですよ。暦の上だけでは連休期間中なのですが、休みを取れる人と取れない人の格差は、どんどん広がって来ているようですね。
さて前回は、何故か九州の中で大分県にだけ、奈良姓が多い理由を独自仮説
で展開させて頂きました。それは1600年の家康の細川忠興に対する、豊後速水郡・杵築まわり6万石の加増により、三河岡崎の奈良姓・細川姓の農民を派遣
した影響が現在まで続いていたのだ、という私の新説でした。奈良姓と同様に、細川姓も県内で偏在していたのが、その根拠・理由だった訳なのです。
この大分県の解明により、日本全国各県ごとの奈良姓の偏在(掲示地図ご参照)の原因・理由が、ほぼ解明された形になります。
そこで今回からは、奈良姓の分布偏在の歴史のまとめ・整理として、高比率の各県ごとに、奈良姓の人口比と、地域ごとの分布、
その偏在の歴史的原因について、簡単なまとめとして、書かせて頂きたいと思います。各県ごとの詳細については、以前の各県の
ブログをご確認頂ければ、と思います。過去のそれぞれのブログは、最下段のサイトマップからお読み頂けます。
それではまずは、地図の北部、オレンジ色の北海道と、赤の青森県からです。
①北海道:今まで北海道は、奈良姓の比率は高いものの、このブログでは一度も取り上げませんでした。理由は北海道が明治以降
の新開拓地であり、秋田・青森からの移住者が多かったからです。ですから必然的に、奈良姓の相対比率も高めに表示
される訳です。(掲示地図オレンジ部)ただ従来の北海道への移住は、開拓団方式が主でしたから、市町村ごとの分布を
見てみると、興味深い傾向が、得られるかも知れないと思われます。そこで北海道の分布比率データを見てみます。
北海道内の奈良姓の人数は、約3,100人と言われており(名字由来netさんより)、人口は499万人ですから、奈良姓の
人口比は、0.062%程であり、全国平均値0.026%と比べて、やや高いと言うぐらいでしょうか。道都札幌市は、奈良姓
の絶対人数は多いものの、人口比では、0.036%に過ぎないのです。ところがそれに比べて、例えば函館市は0.086%で
あり、釧路市は0.099%、小樽市は0.137%と、かなり高い比率になり、室蘭市に至っては、何と0.232%という高比率に
なっているのです。これらの都市への偏在の理由は、一体どのように考えれば良いのでしょうか?
私は、明治以降の北海道の各都市の性格(特色)と絡めて考えると、何となく見えて来ると考えます。例えば函館市は、
北海道の玄関口であり開港都市でした。釧路市は漁業の中心地、小樽市は商業、室蘭市は工業の中心都市として栄えた
訳です。そのような都市に奈良姓の人々は多く移住し、開拓使の本拠地である札幌への移住は、さほどでもなかった事が
判ります。このことから、奈良姓の人々は、本州で食いっぱぐれ、儲かりそうな分野都市をめがけて、明治初期ではなく
、明治後期以降から、移住して来たように見えます。つまり、札幌市とか、北広島市とか伊達市のように、本来の農民の
開拓団として移住して来たのではなく、食いっぱぐれた元武士層の奈良姓が、一攫千金を求めて、バラバラに北海道へと
渡って来たのではないか?、と考えられるのです。
実は私の先祖も、そのたぐいでした。青森県弘前で武士を廃業し、リンゴ農家になったものの、その後失敗し仕方なく、
当時は石炭の積み出し港と、鉄工業で発展していた室蘭市に移住したのでした。(室蘭ならば食えるハズと思ったか?)
もちろん北海道内には、開拓農民(開拓団)として北海道へ渡って来た人々(村・一族単位)が多数おりましたが、その
一方で実は多くが、借金などにより、それぞれが家庭の事情を抱えて、津軽海峡を渡って来ていたのです。(一家単位)
開拓農民も含めて、北海道へ渡って来た人々の中に、人生順風満帆の人間なんて、当時の北海道には、誰一人いなかった
のですよ。つまり北海道の奈良姓の人々も、その困難・苦難を乗り越えて、道内それぞれの地で、踏ん張って生きて来て
いた訳なのです。
②青森県:青森県の奈良姓人口は、約3700人で、県の人口は114万人ですから、人口比率は何と0.32%という高比率になっています。
(全国平均値は、僅か0.026%)なので掲示地図でも赤色表示になっている訳ですが、人口比率では、県都青森市で0.392%
と、県平均とほぼ同じなのですが、武士の都 弘前市では何と、0.535%という高比率になっています。更には、五所川原
市や平川市、板柳町、つがる市などでは、1%を優に超える人口比率になっています。もちろん、まんべんなく比率が高い
訳ではなく、黒石市や十和田市、三沢市のように、県全体の平均値よりも奈良姓の割合が低い地域も存在しているのです。
県内各地域による、バラつきの幅が大きいのです。この理由は、一体どのように考えたら良いのでしょうか?
鹿角由来記によれば、戦国末期の九戸政実の乱で敗れた奈良氏惣領家(大湯氏)一族は、津軽に逃れて津軽氏に仕官した
とあります。この記述と奈良姓の分布偏在の間に、何か関係はあるのでしょうか?
これら上記自治体それぞれによる奈良姓割合の差は、産業構造の違いから読み解くことが出来ます。すなわち五所川原市
、平川市、板柳町、つがる市、そして弘前市に共通する地域特産品があります。それがリンゴです。リンゴ栽培は、明治
以降に、武士の転職政策として推奨されて来ました。つまり、弘前市、五所川原市、平川市、板柳町、つがる市に現存
している奈良姓の多くは、元武士(弘前藩士)なのです。極論すれば、青森県の奈良姓の多くは、元武士の子孫であると、
言えるかも知れません。すなわち戦国末期、九戸政実の乱で青森に逃れて来た、鹿角奈良氏(武士)の末裔達である、
とも言える訳なのです。
逆に言えば青森には、江戸時代以前から代々農民であった奈良姓農民などは、多分存在しない?、とも思われるのです。
この点において、同じ奈良姓の落人とは言え、津軽に逃れた奈良姓と秋田に逃れた奈良姓の人々とは、武士と農民という
形で、別々の道へ、分かれて行ったようなのです。
それでは次回は、秋田県の状況も、見てみましょうかね。(次回へ)

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