いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。 皆さん、ビックマック指数
(BMI)は、ご存じでしょうかね? 世界各国で、ビックマック1個がいくらなのか?を、
日本と比較することで、日本の現在の国力を実感出来る指数です。現在は日本でも高いです
ね。1個500円もします。でも皆さんは多分、韓国や中国、東南アジアあたりなら、日本
より安いハズと思っていませんかね? ところが、今では韓国、中国も、タイやパキスタン
ですら、何と日本より高いのですよ! 日本より安い国は、インドやフィリピンなど数か国
しかありません。円が極端に弱いからです。この事実を、日本人はまだ理解出来ていません
ね。何故こうなってしまったのでしょう? 来週も、もう少し、この歴史を見てみます。
さて前回は、秋田県鹿角市の大湯温泉のこけし作家であった奈良靖規さん、奈良吉弥
さんを取り上げ、鹿角に伝わる出生村ごとの本名姓について、試論を展開してみました。
続いて今回は、時代がポンと飛んで、江戸前期の江戸の豪商、奈良茂こと奈良屋茂左衛門
です。(右掲示絵)まあ今では、誰も知らない名前でしょうけどね?でも一応は、紀伊国屋文左衛門と並び称される程の、江戸前期(将軍綱吉の時代)を代表する豪商らしいのです。
しかし紀伊国屋文左衛門は良く知られているのに、奈良屋茂左衛門の方は誰も知りません。これってどういう事なのでしょうか? ひとつには紀伊国屋の屋号が現在まで続いている?点が、大きいと思われますけどね。紀伊国屋書店とか高級スーパーの紀ノ国屋、紀文食品
など有名企業がありますからね。しかしこれらの企業、実際の紀伊国屋文左衛門とは、実は何の関係も無いそうなんですよ。
まあ紀伊国屋文左衛門の方は、人から尊敬され、あやかられる程有名な存在だった、と言うことなのでしょうね。
ところが、もう一方の奈良屋茂左衛門は、同じく江戸を代表する大豪商だったらしいのですが、謀略を駆使して財を成した、
という理由で、世間の評判が悪いので?、その後忘れ去られてしまったのだろうと思われます。つまり語り継がれる存在では
なかった、と言う事のようです。が実は、奈良屋茂左衛門の詳細は不明なんです。何せ怪しげな黄表紙本?「江戸真砂六十帖」
以外に、これといった史料が無いから、なんです。
また、屋号が奈良屋という商家は、各地に結構ありますね。大和の奈良出身で奈良屋というのが多いようには思われますが、
江戸期の関東にも奈良村は、現熊谷市や、さいたま市大宮区、横浜市、千葉市原市、群馬沼田市など、各地にもありました
ので、それらの奈良村出身者が江戸に出て来て、奈良屋を名乗った可能性だってあるのでは?、とも考えられるのです。
いずれにせよ、我々の奈良姓の系譜とは無関係であろうとは思いますけどね、まあそれでも一応は、奈良姓屋号ですので、、、。
奈良屋茂左衛門の生涯については、江戸の風俗・珍事を記した作者不詳の「江戸真砂六十帖」に書かれていますが、正直に
言って良く判らない人物です。※「江戸真砂六十帖」は、江戸時代後期の叢書「燕石十種」の第3集に収められています。
この奈良屋茂左衛門、代々?深川霊岸島に住んでいたとされていますが、これも怪しいところです。有名になった豪商である
奈良屋茂左衛門は、四代目との事ですが、江戸前期の江戸町人とは、基本的に流れ者です。故郷で食いっ逸れ、江戸に流れて
来た者が大半です。Wikiでは姓は神田だそうですが、後に成功した四代目が書かせた由緒書きですから、元々江戸っ子だ?と
するために、神田姓を名乗っただけだろう?と思われます。本当に神田姓であれば、奈良屋を屋号にするハズがないからです。
どうして、奈良屋を名乗ったのでしょうかねえ?、、、、、要は奈良屋茂左衛門とは、江戸の創成期に3代前(約60年前)の先祖
が江戸に流れて着いて、車力(荷の運搬)などをしていたが、四代目が材木問屋に奉公した後に独立し、何故か材木商として
大成功、一代で巨万の富を手にした!、という江戸版のサクセスストーリーなんです。なので黄表紙本にもなっている訳です。
そりゃ材木商は儲かりますわね、だってその頃の江戸では、大火災が頻発していたからですわね。しかし江戸町民は金があり
ませんから、いくら大火が多いと言っても、一代で巨万の富を手にするなど、普通は難しいハズと考えられるのです。
しかし問題は、その儲け方だったのですよ。Wikiには、そこが書いてありません。(「江戸真砂六十帖」などと言う怪しい本の
話しからだからか?) この「江戸真砂六十帖」によると、四代目の奈良屋茂左衛門は、独立後間もない天和三年(1683年)
の日光地震で倒壊した日光東照宮の再建工事で、高価な檜木材の入札に参加したのだそうです。この公共入札で奈良屋は何と、
市場価格の半値で応札し、落札してしまったのだそうです。でもこの点は、現代ならば考えられない事ですよ。まず独立間も
ない新参業者に、入札参加資格があること自体が、おかしいと言えます。また相場の半値で応札とは、最低入札価格を下回る、
1円入札と同義なので、現代ならば入札は無効になるハズです。しかも納入業者の本命は、檜木材で市場を独占していた老舗の
柏木伝右衛門でした。在庫を持っている柏木は、自らは応札せず、他の応札業者に高値で応札させ、巨利を得ることを企んで
いたのでした。ところが奈良屋茂左衛門は、柏木には一切相談せず、他業者の半額で落札してしまった訳なのです。でもこれ、
完全に発注者側(幕府・奉行所)と入札者(奈良茂)が結託(独禁法違反)していなければ、出来ない事だと思いますがねえ。
落札後、奈良屋茂左衛門は柏木伝右衛門に、檜木材を半値で売ってくれと交渉しますが、柏木は売る訳がありません。すると
茂左衛門はすぐさま奉行所に訴え出ます。すると奉行所は、適正価格=半値!で売るようにと、柏木に対し行政指導を行います。
これもおかしいですよね、奉行所(役所)自体が、商売の自由を侵害している訳ですからね。しかし、お役所と警察を兼ねた
奉行所には逆らえないので、柏木は少量の檜木材を半値で販売します。が、再建工事には全然足りないので、もっと売ってくれ
と依頼しますが、柏木はもう在庫が無いと言って断ります。ここからが奈良屋茂左衛門の恐ろしいところで、予め調べておいた
柏木の貯木場で、全ての木材に柏木の刻印を確認した後、奉行所へ行き、「柏木は、再建用檜の在庫が無いと言っております。」
と訴え出て、役人を柏木の貯木場へ連れて行きます。すると貯木場で、日光再建用木材の量を上回る大量の檜材が発見されて、
「不届き千万!」という事で、柏木は、全財産没収・島流しの刑に処されてしまいます。そして奈良屋茂左衛門は、無事市価の
半値で日光普請の檜材を納入し、余った柏木の檜材はタダで入手し、遂に一代で巨万の富を築いた!、というお話しです、、、。
まあ現在なら、犯罪ですわね。江戸前期なので、安く普請をしたい幕府・奉行所と結託すれば、このような悪事を働く事も可能
だったのでしょうかね? 多分、奈良屋茂左衛門は、安い費用で東照宮を再建したい幕府に利用された、と考えるのが正しい
と思われます。30前後で独立したての若輩材木商が、独断で出来るような仕業ではないからです。もっとも「江戸真砂六十帖」
が、本当の話しであれば、ですけどね。でも奈良屋茂左衛門は、実在の江戸の大豪商ではあったようなのです。晩年病を患うと、
すっぱりと商売をやめ、全財産目録:132,530両(132億5,300万円ぐらい)を、妻、息子、親族、使用人達へ、細かく遺産相続
の遺言書を残しています。案外小心者だったのかも知れません。もっとも「江戸真砂六十帖」によると、奈良屋茂左衛門の死後、
息子5代目は、吉原通いなど放蕩の限りを尽くし、全財産を使い果たして、僅か31歳で早死にしてしまったそうですけどね、、、。
こちらの5代目の方を、奈良茂左衛門(屋号無し)と呼びます。まあ因果応報と言う事なのでしょうかね? 呆れる話しですが、
江戸の黄表紙本のネタとしては、ぴったりの話し、ではあります。 昔はこんな奈良さんもいた、というお話しでしょうか。
ちなみに何代目の茂左衛門かは分かりませんが、江東区白川の雄松院という寺には、奈良屋茂左衛門の墓が残っていますので、
実在の人物であったことは、間違いないようなのです。まあしかし、何か怪しい人物?ではあります。
さて他には、江戸期の奈良姓(奈良屋?)のお話しなど、何かあるのでしょうかね?(次回へ)

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