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奈良姓の歴史概説21:明治期、青森奈良氏末裔の足跡Ⅱ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。

冬季ミラノ五輪が始まって以降、NHKも民放も、TVはほとんどオリンピック番組ばかりでしたね。それなりの感動はあるのですが

本当に皆さん、こんなにオリンピックを見ているんですかね? まあ最近の若者世代は、TVを見ないと言われていますので影響は

ないか?、と思いますが、毎週様々な番組を楽しみにしている老人世代(元祖テレビっ子)にとっては、オリンピック番組ばかり

で、レギュラー番組のない最近のTV状況は、ホントつまらなかったのですよ。ようやく終わるみたいで、よかったです。

 

 さて前回は、明治9年の秩禄処分により武士を廃業した、私の先祖を含む元弘前藩士達が、リンゴ栽培に転身するまでの経緯を

見て参りました。簡単にリンゴ農家になった訳ではなかったのです。青森のリンゴ栽培が定着するまでには、様々な歴史があった

ことが判るのでした。同様に、弘前の奈良姓一族の中には当然、リンゴ栽培以外の分野で、後世に足跡を残した人々もおりました。

今回は、そんな奈良姓の人たちのお話しです。

 

 全国各地には、多くのご当地漆器があります。漆塗りのお椀や箸、お盆などですね。有名なところでは、輪島塗りとか若狭塗り、

会津塗り、などが良く知られていますね。そんな伝統漆器の中に、青森県の津軽塗りもあるのは、ご存じでしょうか?

観光で青森や弘前へ旅行すると、観光土産店には大体津軽塗が置いてありますが、かなり高価でびっくりされると思います。でも

津軽塗は、単なる観光土産品ではないのですよ。非常に複雑な製作工程で、多くの手間と時間のかかる「研ぎ出し変わり塗り技法」

という独特の製法により生み出される、まさに芸術工芸品と呼ぶべき漆器なのです。あまり知られていないのが残念ですが、、、。

 

 津軽塗は、江戸の中期、第四代弘前藩主の津軽信政により、若狭の塗師、池田源兵衛を招聘したことに始まる、とされています。

津軽の産業育成のためですね。でも若狭から招聘したということは、津軽塗とは若狭塗の亜流?だったのでしょうかね?、それが

違うんです。津軽信政は源兵衛を、江戸へ修行に出します。しかし源兵衛は江戸で修行途中に客死してしまいます。そして父の意思

を継いだ子の源太郎は、蒔絵師と塗師の元で修行を積み、新たな技法を会得し、青海源兵衛として弘前に戻ります。これが津軽塗の

始まりになります。こうして津軽塗は「研ぎ出し変わり塗」と呼ばれる新技法により、唐塗(左写真)と呼ばれて、広く名声を得る

ようになったのでした。しかし江戸期の津軽塗は、大名家同士の贈答品などが中心で、藩の統制品でもあったため、世間一般に広く

流通・普及することはありませんでした。

 

 ところが江戸幕府が倒れ、明治維新になると、廃業した弘前藩士の中で、津軽塗で事業を起こそうとする者が現れ、漆器製造会社

が設立されるようになりました。そんな中の一人が、弘前藩で毒見役をしていた奈良丹次郎でした。そう奈良氏です。でも毒見役!

、という事は、やっぱり下級藩士なんですわねえ、、、

この奈良丹次郎は、津軽塗の技法に「ななこ塗」(真ん中写真)の新技法を取り入れた人物として知られ、明治40年には奈良丹治郎

を組合長とする、「津軽塗産業組合」(現青森県漆器協同組合連合会の前身)が設立されています。

また、奈良丹次郎の息子、奈良金一は、父親の生み出した「ななこ塗」を発展させる形で、大正年間に「錦塗」(右写真)の技法を

完成させ、「唐塗」、「ななこ塗」、「錦塗」と、現代にまで続く、津軽塗の代表的各技法が出揃う形になったのでした。

とこのように、津軽塗というあまり知られていない世界ではありますが、奈良氏の末裔が、代々、大きな足跡を残していたのです。

ちなみに、終戦後、昭和30年の全国漆器展で、津軽塗が優勝したことにより、青森県漆器協同組合連合会が再結成されているのです

が、その時の連合会会長は、奈良敏雄さんという方なのでした。やはり奈良姓の歴史系譜が、繋がっていたことが良く判るのです。

青森津軽塗の歴史は、奈良姓とともに繋がっていた訳なのでした。

 

さて今回で一応、江戸期から始まった、弘前奈良姓の末裔の足跡についての記述は終了です。古代大和王権の辺境地であった幡羅郡

奈良村の名付けとなった「奈良別命」から始まり、平安末期の武士団奈良氏の誕生が、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治へと、

連綿と続いて行った奈良姓の人々の歴史を、通史的に見て参りましたが、今回の明治期を以て、終了とさせて頂きます。

現代の弘前出身の奈良姓有名人としては、昭和の歌手奈良光枝さんとか、現代芸術家の奈良美智さん、アイドルの 奈良未遥さんなど

がおられますが、歴史の流れの中に位置づけることは出来ませんでしたので、このブログでは取り上げません。

 

次回からは、奈良姓の歴史の流れとは別に、様々な分野で歴史に名前の残った奈良姓の人々について、見て行きたいと思います。

(奈良姓の歴史概説 了)