· 

そして成田氏伝説は、現代に引き継がれた。Ⅸ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。

昨年の都知事選での石丸伸二氏の躍進や、兵庫県知事選での斎藤知事の再当選など

で、インターネットのSNS活用による選挙印象操作が注目されています。元々は商品

を売り込むためのマーケティング手法だったものが、選挙に活用された訳です。まあ

功罪両方あるとは、一応思いますよ。良い点としては、選挙に無関心であった若者層

を投票行動に結びつけた点は、評価出来ます。多くの若者層は、新聞など読まずに、

朝から晩までスマホばかり見ていますからね。スマホを選挙ツールに利用した点は、

良かったと考えるのです。しかしSNSで切り取り動画を活用した誹謗中傷戦略で若者

を煽る選挙活動は、やはり危険だと考えます。怒りや憎しみや、祭りの熱狂で投票

することになるからです。TVショッピングで煽られて、不要な商品を購入してしまう

のとは、訳が違うのです。選挙は一度投票してしまうと、クーリングオフは効かない

のですよ! おバカな選択の結果は、米国の状況を見れば、良く判るハズですよね?

 

 さて今回・次回は、現在のテーマ「そして成田氏伝説は、現代に引き継がれた。」

の最終章になります。右の添付PDFファイルは、2017年に熊谷市成田公民館で開催

された、熊谷市教育委員会 江南文化財センターによる、記念学習会のプレゼンテ

ーション資料です。ダウンロードして頂き、まずはじっくりと、ご覧下さい。

 

1頁目、タイトルは「成田氏と地域の歴史発見」で、館跡の石碑の写真があります。

続いて2頁目は、「成田氏の源流とは」で、諸説を列挙していますが、藤原氏説が

有力であるとのスタンスを取っています。まあ成田氏の歴史を紹介する学術講演会

なのでしょうから、一定の立場を表明することは、致し方ないことかとは思います。

しかし「田を成らす」から成田になったと、名字の由来を書いている点は、ちょっと

どうか?と思いますね。何故ならまさに農民姓の起源の説明ですからね、逆に

藤原氏(貴族)起源説とのギャップを感じてしまいますからねえ、、。 

3頁~4頁は、成田系図(龍淵寺本)の紹介で、5頁では一応、武蔵七党系図の横山党

説部分も紹介はしています。まあ公平を期す?、というスタンスでしょうかね。

6頁では成田氏勢力範囲図が描かれていますが、時代は書かれていません。戦国後期

の最大勢力時の領地分布ですね。あたかも大昔から代々、この領地だった?との

印象を、与えかねない描き方で、注意が必要だと感じました。

 

そして7頁からはいよいよ、歴代の成田氏当主の名前と、その事績が書かれています。

初代は藤原忠基だそうですが、成田記からの引用と思われますが、史実的にはめちゃ

くちゃですね。成田系図的には、藤原行成の兄弟となっていますので、11世紀前半

(1000年代)の人物で、忠基ではなく基忠であるとすれば、実在の人物になります。

但し、11世紀後半の藤原基忠とは全くの別人です。この辺りのうやむやさに、藤原氏

起源説が、ある意味それなりに信用されて来た事のヒントがあるのかも知れません。

第二代から第四代は、良く判らない人物名が並んでいます。検証が不可能な人物名

だからです。ただ、第四代藤原道宗は、妻沼歓喜院の縁起(由来書)に記載がある

ような書き方なのですが、現在の妻沼聖天山歓喜院の縁起に、このような記載はあり

ません。また歓喜院は、地元の有力武士で、平家物語でも有名な、斎藤別当実盛の

開基だと伝えられていますので、12世紀後半の創建であろうと考えられます。

と言う事で、第四代藤原道宗の方も、12世紀後半の人物として書かれている訳です。

 

続いていよいよ、成田氏初代でもある、第五代成田助隆の登場となります。ここで

プレゼン資料は、成田助隆を、13世紀前半の人物だとしているのですねえ、、、、

え?、どういう事?、と思いますよね。まあ単純に、第四代藤原道宗を12世紀後半

の人物としたので、第五代成田助隆を13世紀前半の人物としたのだろう?と、思って

しまいます。13世紀前半ということは、1200年代前半、ということなんですがね。

時代は既に鎌倉時代です。皆さん、え!?と思いませんかね? だって、成田氏家伝

をご存知の方なら誰もが知る、成田四家伝説では、成田助隆の子、四兄弟が保元の乱

(1156年)で、成田太郎、別府次郎、奈良三郎、玉井四郎として活躍しているから

ですね。つまり成田氏家伝に立脚するならば、成田助隆は13世紀ではなく、12世紀

前半の人物でなければならないのです。従って、この熊谷市立江南文化財センターの

プレゼン資料の年代表記が間違っている、と言うことになるのですよ。これにより、

第四代藤原道宗の存在も、歓喜院縁起に立脚する以上、年代的に怪しい存在になって

しまうのです。熊谷市教育委員会主催の学習講演会の資料がこんなインチキ状況で、

本当に大丈夫なのでしょうかねえ?

成田助隆についての記述では、まだまだ疑問は尽きないのですが、長くなったので、

次回へ続きます。

 

ダウンロード
熊谷市教育委員会 江南文化財 センター
成田氏の歴史研究(熊谷市).pdf
PDFファイル 1.6 MB