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そして成田氏伝説は、現代に引き継がれた。Ⅱ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。

日本のマスコミでは、トランプ台風のお陰で、お隣り韓国の台風の方は、すっかり影が薄くなってしまっていますね。結局韓国は

(日本も?)、大統領(首相)が居ても居なくても、どうにかやって行ける国であるようです。(いい悪いは別として、)

逆にこれからのアメリカは、トランプが居なくなったら(死んだら)、大混乱に陥るような気がしますが、どうなんでしょうか?

いよいよ関税戦争が始まりますが、極端へと振れた振り子は、逆の極端へと、揺れ戻すだけじゃあないか?と思いますけどねえ、、

 

 さて前回までは、成田四家伝説を含む成田氏家伝が、成田系図としてまとめられ、更に江戸後期には「成田記」という物語りが

追加され、完璧な家伝が完成したのでした。しかしこれらの家伝は、成田姓の人々にとっては、真実とされたものの、それ以外に

まで広く、世間に広まることはありませんでした。あくまでも成田氏一族内+行田・熊谷地域だけでの共通認識であったのです。

ところが昭和9年~11年にかけて、「姓氏家系大辞典」が、歴史学者で立命館大学教授であった太田亮により、出版されたことに

よって、名前の由来や歴史を調べるためのバイブルとして、自分の先祖・家系を調べることの一大ブームが起きたのでした。

ほとんどの日本人の姓が、五十音順で網羅されていたため、簡便に自分の姓の由来・歴史等を調べることが出来たからです。

更には、立命館大学の教授によって書かれたということにより、書物の情報信ぴょう性も、担保されることになったのでした。

また、自分の家の家系図を作る際に便利だったようで、家系図作成業者にとっては、現在でもバイブル書になっております。

 

 で、その「姓氏家系大辞典」で、成田氏の記述がどうだったのかを示したのが、今回の掲示写真(前半部)です。一般的に

「姓氏家系大辞典」では、各地の大昔の有名人の列挙あたりから始まるのですが、成田姓ではどうでしょうか? 何といきなり

第一として、藤原北家の記述から始まっている訳なのです。その後延々と、成田氏家伝、四家伝説の記述が続いています。

引用文献も、「旅宿問答」、「藩翰譜」、そして「新編武蔵風土記稿」と、成田氏家伝伝承の記述が続いています。「成田記」の

軍記物語り伝説も、しっかり盛り込まれていますね。成田姓と言えば、成田氏家伝である点が、まず強調されている訳なんです。

また、今回掲示出来なかった後半部には、13で、鹿角成田氏についても触れられています。南北朝期に南部師行らと共に、

北畠顕家に従った成田泰次(頼時)が最初に登場している点が面白いと思います。我々は鹿角成田氏が、鎌倉期から続いている

ことを、既に知っているわけですが、太田亮氏の時代(昭和初期)には、多分鎌倉期の記録が見当たらなかったから、なので

しょうね。太田亮氏は、鹿角の成田氏は、成田(氏)系図の成田氏とは全く関係のない成田氏と捉えていたようです。まあ鎌倉期

の武蔵成田氏は、鎌倉幕府滅亡と共に断絶し、安保氏系に変わっていますから、記憶自体も断絶しているんです。ですから鎌倉期

の八坂神社文書などが、当時はまだ発見されていなかったため、鎌倉期の武蔵成田氏と、鹿角成田氏との関係については、太田氏

は、判らなかったのでしょうね。また、室町後期の成田顕泰の養父、成田正等の記述が無いことについても、成田系図には載って

いませんから、同様ですわね。 まあ当時としては、各文献を、それなりに精一杯調べたのだろうとは思われますけどねえ、、。

 

 なので結局、筆者太田亮の調べた文献・言い伝え全てが、この時点では、成田氏家伝に則っていたため、家伝をそのまま信じる

しか無かったのだろう、と思われます。その結果として、成田姓については、成田氏家伝が唯一の家伝・家譜になったのでした。

でも私は、成田姓などは、稲作の普及とともに全国に広まった地名や名字のひとつなので、全国どこにでもあったと考えています。

「姓氏家系大辞典」の後半でも、越後や能登の成田姓など、各地の成田姓が列挙されていますが、武蔵国出自の成田氏とは、何の

関係も無かっただろうと考えています。つまり本来成田姓とは、稲作の伝播により全国に広く普及した、村田とか本田とか森田、

田中、吉田、古田等々と同列の地名・農民姓だったからです。成田氏家伝にあるような、特殊な姓ではないのです。

それがたまたま、鎌倉期の武蔵国出自の成田さんが、たまたま武士となり、その後の成田さんの系統が安保氏、長尾氏と変わって

成長したため、成田姓の正当性を保つために、家伝を作ってみたら大ヒットしたお陰で、成田姓の筆頭に躍り出ることが出来た

だけの事なのですよ。よくぞ成田一族は、四家家伝を作り、成田系図を作り、成田記も作りして、世間に良く広めたと思いますよ。

その努力の成果が、結果として「姓氏家系大辞典」として結実したのだと思われます。遂に、フェイクが真(まこと)になった

のでした。そう、太田亮氏によって、成田氏家伝は、真実として、人々に定着したのでした。

では同じ成田四家とされた、我らが奈良姓や別府姓、玉井姓などは、太田亮氏によって、一体どのように書かれているのでしょう

かね? 続いては、この辺りを見て行きたいと思います。(次回へ)