いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。昨日からずっと、雨が続いていますねえ。台風の影響なので
しょうかね? それとも梅雨入り?
さて今回からは、成田氏発祥の地?、上之村に引き続き、玉井氏発祥の地とされる玉井村を、新編武蔵風土記稿で見て参ります。
何故なら、成田氏系図によれば、成田氏初代、成田助高の四男である四郎が、玉井氏の祖になったと伝えられているからですね。
何故、次男の別府村ではなく四男の玉井村が先なのか?、と申しますと、新編武蔵風土記稿の掲載地理順番によるから!なのです。
深い意味はありません。まあ最初に三男である奈良氏をやりましたからね。新編武蔵風土記稿での扱いに違いはあるのでしょうか?
まあ状況は、奈良氏の祖、奈良三郎の時と、よく似ているようですが、記述に違いはあるのでしょうか? また、本文記述の中に、
成田氏や奈良氏などが登場するのか?等々、色々と興味深い玉井村なんですが、まずは本文を見て行きましょうか。
「玉井村は、古い井戸があったことから、玉井と言う地名になった。保元の頃(1156年~1159年)には既に、この地名を名乗る
人物が現れていることから、この名も古いことが判る。」とのことで、保元物語での玉井氏登場を示しています。次の地理説明では、
東別府村や上奈良村に隣接していることが判ります。この隣接状況から、玉井氏、別府氏、奈良氏らの同族関係説が生まれたので
しょうね。続いて江戸期以降の領地説明に移り、その後は高札場と小字名の説明で、ここまでの前段に、特に見るべきものはありま
せんし、編者のコメントもありません。続いて神社の紹介に移ります。玉井村の最初に来る一宮は、玉井明神社(現在の玉井大神社)
です。村の鎮守で、祭神は、不詳だそうです。しかしその後のコメントに、「昔は、井殿明神と呼ばれていたと伝わる、」とあります
ね。明神とは、神様の尊称です。また井殿とは、玉井の殿様という意味です。ですから、井殿明神とは、玉井の殿様を祀った神社!、
という意味になります。まあ、編者は無視していますがね。もしかすると、上奈良村の奈良神社も、奈良の殿様を祀った神社、だった
かも?知れませんね。(いやまあ、延喜式神名帳に載っている官立神社なので、それは無いか!)
で、「管理寺院は、吉祥院という修験宗の寺で、井殿山井殿寺と号す。」のだそうです。古い玉井氏時代の痕跡が、よく残っている
と思われます。私は、この吉祥院と、後に出て来る玉井寺は、昔は同じ寺だったのではないか?、と思っています。
しかしそれに引きかえ、平安時代の興福寺の僧賢憬の井戸の話し(玉井神社の由緒)などは、記述に出て来ませんね。編者は、村民の
伝承の類は、やはり軽視していることが、良く判ります。
以降末社紹介に続いて、筆頭寺院、玉井寺が登場します。「宗派は、真言宗智山派で、寺領15石は、慶安二年(1649年)8月24日
に御朱印を賜っている、開山開基者は不詳だが、近くに玉井四郎助実の屋敷があったと伝えられ、且つ、その墳墓などもあることを
見れば、多分この人物の開基なのだろう、」との記述は、上奈良村の妙音寺、奈良三郎の記述と、うりふたつです。これはやはり、
成田氏系図からの影響なのでしょうね。また、中興開山僧の名を記しているところを見ると、私は、真言宗に改宗する前の玉井寺は、
修験宗で多分、井殿山井殿寺と号していたのではないか?と、思います。(即ち吉祥院と同じです。)つまり、奈良村とは異なり、
玉井村では、玉井氏時代の痕跡も、江戸後期までかなりそのまま、残っていたのではないか?、と考えるのです。箱田村とは異なり、
多分規制が及ばなかったのだ、と思われます。さて、堂宇の紹介に続き、玉井四郎の墓の紹介になります。このあたりも、上奈良村
妙音寺の奈良三郎の墓の記述と同様ですね。ただ、奈良三郎の時とは異なり、「玉井四郎は、保元物語以降の記録に、3人も登場し、
代々玉井四郎を名乗っているが、この墓の主は、いったいどの時代の、玉井四郎なのであろうか?」と書いており、編者も色々と
調べたようですね。上奈良村の妙音寺で、奈良三郎の墓の項で編者が奈良氏を調べていたのは、吾妻鏡の承久の乱宇治川合戦の場面
だけ、だったのですがねえ。(奈良氏だって、もっと多くの登場場面がありますが、)玉井氏については、もっと色々と調べている
訳です。まあしかし、玉井村に玉井氏が存在していたことは、間違い無さそうなのですね。また代々、玉井四郎を名乗っている点
などは、私にも親近感があります。何故なら私の4代前の高祖父の名前も、奈良源三郎でしたからねえ、延々と続いているのですよ。
まあ玉井四郎の墓は、現在も玉井寺の境内に残っていて、ちゃんと管理されていますので(※奈良三郎の墓と違って)、皆さんも自ら
確認することが出来ます。
さて墓に続いて、玉ノ井(井戸)の登場です。地理や寸法の記述が中心で、僧賢憬の伝説は出ませんが、水面に宝珠の形が現れる
伝説については、一応書いています。しかし多分、玉井四郎助実の屋敷の井戸だったのだろうと書いています。この井戸も、現在は
社に囲われて、熊谷市の記念物になっています。その後は末社、末寺の列挙になりますが、観音寺という寺が、上之村の一乗院の末寺
である、との記述があります。成田氏二代目、成田太郎助広の庶子、秋葉七郎との由来が伝えられる一乗院ですので、上之村との
関係性も見られますが、編者にとって一乗院は、後代の成田氏との関連はありませんので、さらっとした記述だけです。
そして玉井村の最後に、玉井四郎陣屋跡の記述になりますが、これは次回へ。
<ちょいと不便な玉井村 玉井寺・玉井大神社への行き方ご案内>
①JR熊谷駅前の熊谷駅バス停(国際十王交通バス)より、籠原駅行きバスで、玉井団地バス停下車。(約20分)
②別府中央通りまで出て、信号を渡って右折直進。⇒左手 はぎわら眼科を過ぎて、次の路地を左折直進(道なり)
➂T字路を左折、すぐ右折して直進。⇒正面突き当りに玉井寺。(約15分) ⇒玉井寺の北側に、玉井大神社隣接。



コメントをお書きください