· 

新編武蔵風土記稿で、成田氏発祥の地?上之村を読む。Ⅱ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。本日は曇り空で、今にも雨が降りそうな天気です。

 

 前々回、チャットGPT(対話生成AI)は将来、教師や弁護士、裁判官の仕事を代替出来るようになると、お伝えしました。

ものは試し、チャットGPT(対話型AI)で、現在大問題になっている小中学校教師の、超過重労働問題を軽減?してみようかと

思います。要は、現在の先生達には、やることがいっぱい多すぎて、給料も上げられず、人も増やせない状況の中で、過重労働に

苦しんでいる、と言う問題ですね。この問題を解決、とまでは行かないまでも、負担を軽減することが、対話型AIには可能なので

しょうかね? 現在の先生達の仕事の中身とは、授業+授業準備(文書作成)+テスト作成・採点、評価業務+生徒指導要録・

成績記録作成+家庭連絡業務(文書作成)+会議+部活動指導、あたりだそうです。私は、これらの業務を、クラス全体に対する

業務と、生徒個別に対する業務に分けるべきであると考えます。何故なら、クラス全体に対する業務は、AIに作業をお願い出来る

業務だと思うからです。具体的には、授業の草稿や補助教材の作成、試験問題の作成などで、AIによる作成で充分だと考えます。

え?、教師として一番重要な部分じゃないのか?、と思われるかも知れませんが、私は違うと考えます。何故なら、授業内容は、

文科省の指導要領に沿った、標準的授業内容が求められているからです。こんなもの、先生一人一人が、独自に作る必要などない

のですよ。極端に言えば、AIが生成した授業台本!に従って、授業を演じれば良いのですよ。同じ演目でも、先生それぞれの個性

は発揮出来ると思います。このようにクラス全体に対する業務の多くは、生成AIがサポートしてくれるハズです。(学級通信など)

また、部活動指導については、最近は地域への外部委託なども進んで来ているようですが、自分が好きならば、やりたければやる

で良いと考えます。でもこうなると、強制労働ではないでしょうね。とすると先生は、生徒個別に対する指導業務の方に、全力を

注ぐことが可能になる、と思われるのですがね。いかがでしょうか?

 

 さて、成田氏発祥の地?、上之村の2回目です。前回は星川(荒川用水路)の記述まで見て参りました。発祥の地だけあって、

記述がやたら細かく量も多いですね。他の村々の記述ですと、平均1~2頁で終わっているのですがねえ。で続いては、左写真の

右側ページ後半の、久伊豆社からです。最初の神社ですから、上之村の一ノ宮であることが判ります。奈良村で言えば、熊野社=

奈良神社ですね。曰く「慶長9年(1604年)に、寺領30石の御朱印を(徳川家康より)賜っている。祭神は、大山祇命で、伊豆

の三島大社から写し祀ると言われているが、疑うべきである。この久伊豆神社とは、騎西町(現加須市)に大社(玉敷神社)が

あり、近郷の村々も、この神様を勧請しているので、当社も恐らくは、これを写したのであろう。当村(上之村)、箱田、池上、

三村の鎮守である。」との説明ですが、何とも心もとない由緒書きです。大体が、社名が久伊豆神社でありながら、祭神の方が

大山祇命であるところからして、おかしいのですよ。ですから編者も、違うだろ!と言っている訳です。でも、大山祇命が祭神

であるならば、三島大社から勧請して正しい訳なのですよ。久伊豆神社が正しいのか?、大山祇命が正しいのか?、なのですね。

それで明治に入ってから、この久伊豆社は、上之村神社に改名したのでした。まあしかし、こんなドタバタは、どうでも良い話し

です。この記述で重要な点は、成田氏発祥の地の総鎮守でありながら、古い歴史の痕跡がまったく感じられない点にあるのです。

つまり平安末期から続く、古い成田氏との関わりが、まったく感じられないのです。成田氏とは無関係の、よくある地元の神社に

見えるのですよ。大体、書き出しが慶長9年ですから、神社としての由緒も歴史も、全然感じられないのですわ。ですから編者も、

成田氏発祥の地上之村の一宮でありながら、素知らぬ顔で、さらっと流している訳なのです。以下、末社に雷電(神社)とあります

が、現在はこちらの神社の方が有名ですね。以降、姫宮、天神、等々と続きます。次に別当(管理)寺院として久見寺、管理者名、

社僧大正院、諏訪社、稲荷社と、神社列挙説明が続きますが、成田氏との関りの方は全然見えませんので、素通りしています。

でその後に何と、三郎社が登場します。成田氏の支族、箱田氏の箱田三郎(某!)を祀った社だそうですが、良く判らないそうです!

(確か、成田氏系図では、成田氏二代 成田太郎助広の庶子?、成田広能が箱田を名乗ったことになっているハズ、ですがねえ?)

或いは、西宮恵比寿を祀ったのかも?とも言われているそうで、円明寺の管理だそうです。編者にとっては、貴重な成田氏関連?で

ありながら、どうでも良い記述内容なのです。まあ、他の成田氏史料には、箱田氏についての記述がないからなのでしょうかね?。

しかし、西宮恵比寿を祀ったのかも?とは、ひどい表現だと思います。絶対に間違っている例示を、敢えてしているからなんです。

私には編者が、箱田氏の痕跡を、敢えて無視しているように、見えるのですがねえ。何故なら、後代の成田氏は、箱田氏の痕跡を、

敢えて消しているからです。しかし、三郎社の記述は大変重要です。成田氏発祥の地?である上之村に、何故かひっそりと、古来

からの箱田三郎神社があったという事実が、より重要なのです。逆に編者の意図が、浮かび上がって来るような気がしますね。

三郎社以降の神社の列挙記述は、まあどうでも良い記述です。そして、編者にとって最も重要な筆頭寺院である、龍淵寺の記述へと

移りますが、それは次回へ。