· 

新編武蔵風土記稿で奈良村を読む

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。桜も開花し、季節も春になりましたので、新しいテーマでブログを書かせて頂きたいと思います。

 

 コロナ対策でのマスク着用義務が解除になりました。まあ、コロナの終息宣言

みたいなものですかね。もはや室内でも、マスクをつけなくても良いのですね。

海外ではもっと以前から、マスクをつけなくなっていましたので、ようやく日本

も、海外並みになった訳です。がしかし、現在も多くの日本人は、マスクをつけ

続けていますねえ。必要ないよと言われてもつけ続けているのは、どういう理由なのでしょうかね? だってコロナ以前は、自分が風邪の時以外は、誰もマスクなんてしていませんでしたからね。私ハッキリと覚えているのですが、2020年2月から国内感染が急拡大した直後に、政府の新型コロナ感染対策本部が設置されて、3月時点での対策本部内の映像が、NHKスペシャルで放映されているん

ですが、驚くことにメンバー誰一人、マスクをしていないんです。手洗いは当時から盛んに言われていましたが、マスクについては当時、何も言っていなかったのですよ。で、現在は、マスクをしなくて良いにも拘わらず、皆さんマスクを

している訳です。理屈としては、何とも不思議な光景に映るのです。政府の見解を

多くの国民は信用しないから、なんですかね? それとも、マスク着用に慣れ過ぎて

しまったから、なんですかね? 逆にまた再び、マスク着用を巡るケンカが起きそうな

気もします。夏の猛暑になっても、果たしてこのマスク着用は続くのでしょうかねえ?

 

 さて今回からは、新編武蔵風土記稿(写真)による、忍藩領 奈良村の記述についてです。

新編武蔵風土記稿は、今まで何度も引用はさせて頂いているのですが、真正面からテーマに

するのは、今回が初めてです。だって地元の郷土史研究者にとっては、ネタ本みたいなもの

ですからね。つまり武蔵国の各地の郷土史家は、まず最初に、新編武蔵風土記稿で、郷土は

どのように描かれていたのかを、調べるからですね。ネタ本を正面に据えることはありません。

新編武蔵風土記稿とは、江戸時代1810年~1830年の間に編纂された、武蔵国の村々を細かく

紹介した地誌です。昌平坂学問所(現東京大学)の地理局により、現地調査を踏まえて編纂

された地誌としての信頼性が高いので、郷土史研究の、代表的なネタ本になっている訳です。 

当然の事ながら、我々奈良姓の発祥の地である?、幡羅郡奈良村についても記載があるのです。

210年前のこの当時、奈良村は四つの村に分割されていたようで、それぞれの村についての

記述がありますが、まあ現在の熊谷市の奈良地区の行政区分とも、大きな違いは無いようです。

で最初に、掲示写真の上奈良村から始まるのですが、位置と領地所属の説明の後に、いきなり、

中奈良村の奈良神社が地名の由来であり、上奈良村の妙音寺は、大昔に奈良氏が居住していたと

伝えられている点については、別に妙音寺の条でも書いてあるなどと、氏族奈良氏についての

伝承の記述から、上奈良村の説明が始まっている訳なんです。上奈良村の解説であるハズなのに、

少し奇異な感じがしますよね? なのでそのあとに、奈良村が分村していることを、何か言い訳の

ように記しています。まあ編者も、奈良村と言えば奈良氏であろうと、認識していた証左であろうと

推察されます。 つまり210年前の人々は、奈良氏を知っていた、と言う事なのです。現在では、全然

知られていない氏族なのですがねえ、、、新編武蔵風土記稿のこの記述、奈良氏の存在を考える上で、

非常に重要であろうと考えます。つまり、奈良氏の存在については、奈良村の昔の伝承だけではなく、

新編武蔵風土記稿の編者を含めた当時の多くの人々が、その存在を認識していた、という事実なの

ですよ。 で、このあとには、上奈良村の地理や御領の歴史推移の説明・紹介が続きます。

その次には、行政記録として、高札場が4か所あり、7名の小領主=名主?の名前が、記されています。

このあと、上奈良村の寺社の解説になるのですが、妙音寺の項で再び、特記のように奈良氏について

触れているのです。妙音寺の開山は、奈良三郎であると伝えられているとか、頼尊の墓についてなど、

かなり詳しく記されているのでした。編者の方々、よっぽど奈良氏の方が、気になるのでしょうかね?

当時でも、奈良氏の記憶は、かなり薄れていたようなんですが、、、さて、その内容とは?(次回へ)