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西日本在住の奈良姓の人々の由来について、Ⅳ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

今回、西日本在住の奈良姓の皆さん(特に大阪と西讃岐在住の皆さん)の歴史について、書かせて頂いております。 が、まずは枕から、

 

 非正規労働者層(負け組)の拡大は、日本に限った話しではありま

せん。米国でのトランプ現象も、同じ範疇の現象ですよ。フランスや

イタリアでの極右政党の躍進も同根です。現在は勝ち組(少数派)に

乗っかっている大手マスコミは、状況が把握出来ず、民主主義の危機

であると捉えています。ピントがずれているのですね。世論調査をしても、予測が外れる訳です。世論調査の対象が間違っているからです。

非正規労働者層の人々は、電話世論調査に、返答などしないからです。つまり大手マスコミは、大衆の意思がどこにあるのか、理解していない

んです。非正規労働者層は、左翼ではありませんが、右翼でもありません。つまり左翼とか右翼という古いレッテル貼り自体が、既に間違って

いるのです。ネットでは、感情のままに発言しているだけなんですよ。

彼らは普通の市民で、ささやかな幸せを夢見ているだけなんです。

しかしその夢は実現しません。だから怒り、絶望するのですよ。

現在・未来に希望が持てないので、自分達の知らない過去を懐かしみます。

この感情が、世論・世相を動かしているのです。理屈ではなく、感情が

全てなのですよ。その意味では、プーチンも金正恩も同じなのですがね、、、

 

 さて、室町幕府管領細川氏の隆盛とともに発展してきた、摂津奈良氏関連のお話しです。

前回は、室町幕府管領細川頼之・頼元の頃、細川家家臣の奈良氏は、摂津国守護代であった、

という史実について見て参りました。その所領は、垂水荘(現大阪府吹田市と豊中市の一部

=地下鉄御堂筋線、江坂駅の西側周辺あたりか?)だったようですね。

そして更には、讃岐国の中でも、鵜足(宇多津)郡の管理も、奈良氏は一時期、任されていた

のではないか?、という私の意見も、敢えて述べさせて頂きました。⇒ 何故か?、です。

摂津奈良氏の存在が、史実として明らかになったという、ほんの小さな事実から、様々な歴史の

真実の姿が、明らかになりそうな予感がします。

 

 今回の写真は、「公文本空」という人物から「讃岐公」という人物に宛てた、1376年の文書で、

これも前回同様の東寺百合文書です。同じ細川頼之・頼元の時代ですね、良おく御覧下さいませ。

まず、東寺百合文書Webの説明によりますと、差出人は「公文本空」と言う人物名だそうです。

「公文本空」とは多分、僧侶名でしょうね。で宛名は、「讃岐公」と言う人物へ、だそうです。

 ※差出人や宛名情報については、東寺百合文書Webに、記載がありますので、ご確認下さい。

宛名の讃岐公と言う人物が、誰なのかは、私良く分かりません。でも讃岐!なんですけどねえ。

むしろ重要なのは、この本文中に、「奈良殿より」とか「飯高弾正」の名前が見えることなんです。

写真本文、中ほど、太文字部分をご確認下さい。(この名前を見つけたので、今回掲載させて

頂いた訳なのです。)

 

 さて、これらの名前があると言うことは、年代から、この奈良殿とは、奈良俊阿のことですね。

更に、飯高弾正とは、摂津垂水荘の代官の名前です。(前回掲示文書をご確認下さい。)

ですから文書の内容は良く分かりませんが、摂津奈良氏と讃岐に関係がある手紙なのではないかと、

考えてしまう訳なのですよ。だって手紙から3年後の康暦の政変(1379年)では、細川氏は失脚し、

主君細川頼之・頼元ともども、讃岐の宇多津へ一時避難(蟄居)していますからね。(新宇多津町史)

少なくとも讃岐の宇多津は、細川氏一族が、安心して避難出来る領地、であったことは明らかです。

ですからやはり、細川家重臣である奈良俊阿(奈良氏一族)も、讃岐に関係していたハズ、だろう

と思われるのです。だからこそ、この書状の紹介なのです。まあ、状況証拠には、なりそうですが。

もしかすると、奈良俊阿の兄弟あたり?が、関係していたかも知れませんよ、、、

 

 そして更に時代は下り、1400年代後半、細川勝元の時代になりますと、「南海通記」に書かれた

細川家家臣四天王のひとりとして、遂に奈良太郎左衛門尉元安の名前が、世間に登場して来ます。

「南海通記」とは、江戸中期に香西成資によって書かれた、四国の中世通史で、奈良氏の中では

比較的有名な、奈良元安の名前が登場するのでした。多くの人々は、讃岐奈良氏の名前の、初出?

だと思っていますわね。で、多くの解説書では、管領細川勝元により、白峯合戦の戦功によって?、

奈良元安は、宇多津・那珂の地を初めて拝領した?、などと書かれている訳なんです。

でもこれって、おかしいですよね?、だって何と年代が、約100年近くも、ずれているんですよ!

何か間違いが、あるに違いないのです。(次回へ。)