いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。 私の奈良家先祖の由来地を巡る東北の旅も、今回が最終日です。
最近の多くの若者は、テレビも新聞も雑誌も、見なくなりましたね。若者の情報収集手段は、ほとんどスマホのみ、になっています。
ですからテレビも新聞も雑誌も、今や斜陽産業の仲間入りです。昔は我々世代の憧れ業種だったのですけどねえ。影響力もありました。特に若者の世論形成には絶大な影響力を発揮しました。ところが現在ではどうでしょうか? 年寄りは別として、多くの若者達は、
マスメディアに接する機会が少なくなって来ているため、若者の世論形成には逆に、まったくの無力になりかけているのです。
この傾向が顕著に表れたのは、米国のトランプ現象だと思います。米国の若者は、スマホのSNSしか見ないのですよ。スマホには、
自身の好みの見たい情報しか表示されない機能が付いています。ポータルサイトのニュースだって同様です。見たいニュースだけ、
見ているんです。トンデモ論者の意見でも、スマホでバズれば、正論になります。こうしてトランプは、米国大統領になりました。
一方日本の現状はどうでしょうか? 実はまったく同様ですよね? 違いは、トランプが出て来ていない点だけです。とすると逆に、
日本の政界でも、現在のSNS上で跋扈しているネトウヨ連中を束ねて、反統一教会、嫌韓、反中国、反ロシアの主張で、非正規雇用
の労働者層をターゲットとして組織化出来れば、多分簡単に、現在の自民党政権を倒すことが出来るのだろうと、思われるのです。
もしかすると、こんな政党が、もうすぐ突然、現れるかも知れませんよ。党名は、非正規労働者党ですね。
前回、私の祖父の生まれ故郷、青森県藤崎町の訪問記録の続きです。心光寺の住職から、18年前の記憶を辿り、もしかすると、
中野目地区の寺ではなかったか?、と言う情報を頂き、早速中野目地区へと向かってみることにしました。
我々もちょうど、昔祖父達が生まれた中野目地区を、後で訪れてみようかと、思っていたからなのでした。
ところが、県道196号で中野目地区を通っても、それらしい寺は、一向に見つかりません。そう言えば心光寺の住職も、今はどう
なっているか分からないと、言っていました。これはもう、誰か地元の方に聞くしかない、と考え、県道沿いのたばこ店を訪ねて
みました。出て来たおばあちゃん曰く、「知園寺(ちおんじ)という寺があるけど、今は住職だけじゃなく、奥さんも亡くなって
しまっているからねえ。」との情報を得ることが出来ました。教えられた場所を探して、ようやくたどり着いたのが、1枚目の写真
の場所でした。これはなかなか、寺院だとは判りませんわねえ?(訪問当時は、地面に色々資材が置いてあって工事中でもあったの
でした。)しかしようやく、我々は知園寺に到着することが出来たのでした。この知園寺は、中野目地区唯一の寺院なのだそうです。
で、写真2枚目が、知園寺の由緒書きなのですが、経年劣化でほとんど読めませんね。※でも画像を拡大すれば、何とか読めますよ。
知恩寺は、江戸時代1666年の創建だそうですが、寺格を得たのは昭和24年とのことですので、戦後のことですね。多分この時に、
知園寺の住職夫妻が赴任されたのでしょう。その住職夫妻も、今は亡くなってしまっていたのでした。宗派は曹洞宗だそうですので、
心光寺の住職が、良く知らない点も合点が行きます。またもしかすると、それ以前の知園寺は、中野目地区の単なる墓地だったのかも
知れません。それでもこの寺には歴史があって、開基者である萬外澤大和尚の記念碑(3枚目写真)や、天保・天明の飢饉の供養碑
(4枚目写真)などが多数設置されています。しかしこの知恩寺、今後はどうなってしまうのでしょうかねえ?
さて問題は、この寺が本当に、18年前の奈良源三郎墓の寺なのかどうか?、なのでした。ところがなのです、この点だけが、実は
今も不明のままなのです。何と奈良源三郎墓が、見当たらないのですよ! それほど広い境内ではないので、奈良源三郎墓が無い
ことは、すぐに気が付きました。もしかすると、古い墓石なので撤去されてしまったのかも?、と思いました。しかし奈良源三郎墓
の隣りにあった現代の奈良家の墓石(前回写真)は、多分残っているハズだと思ったのです。またところが、なのです。前回写真に
あった、現代の奈良家の墓石も、見当たらないのでした。とすると、この寺も、奈良源三郎墓の墓地ではないのではないか?、と
言う疑問が湧いて来るのでした。18年前の、ぴかぴかの墓石まで見当たらないなどとは、ちょっと考えられないからなのでした。
私は、奈良家の先祖代々の墓を探し続けました。すると、奈良家の墓石が、次々と見つかったのでした。(5・6枚目写真)
周りの風景もリンゴ畑で、18年前の写真の風景と同様でした。奈良源三郎の一族が、この中野目の地で、リンゴ農家をしていた
ことは間違いのない史実なので、これらの奈良家墓も、中野目にある限り、一族の子孫の墓であろうことは、容易に推測が出来るの
でした。奈良家の墓石は、何と5軒もありました。そして更には、奈良家の古い親戚であるとされた、神家の墓や、村上家の墓も、
境内で発見されたのでした。この事実はやはり、この寺が、奈良源三郎一族の墓地であったことを、強く示唆していました。
しかしながらです、間違いなくあるハズの、奈良源三郎墓だけが無いのです。ですから、奈良源三郎墓については、未だ不明のまま
なのです。まあ奈良源三郎墓が見当たらない理由としては、奈良源三郎の嫡流子孫(奈良源三郎墓の隣りの奈良家)が、墓じまいを
したか、墓を移転したか等が、考えられるのですが、その証拠がないので、現在はまだ、不明のままなのです。
そして知恩寺敷地にあった大量の建設資材を見る限り、今後の知恩寺の行く末についても、若干不安がよぎってしまうのでした。
と言う訳で、藤崎町訪問における、奈良源三郎墓の探訪計画は、このような形で、半分達成+半分未達成で、幕を閉じたのでした。
今回お世話になった、心光寺の住職ご夫妻、心光寺の墓石工事業者の皆さん、山内たばこ店のおばあちゃん、お礼を申し上げます。
誠に有難うございました。(この項完)







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