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奈良家の由来地訪問の旅、藤崎町。

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。このところは、7月に行って来た、私の奈良家先祖の由来地を巡る旅の

報告をお届けしています。

 

 コロナ感染者の全数把握が、見直されるようです。重症化リスクの高い患者に限定するようですね。自治体や各地保健所、コロナ

対応医療施設の、負担軽減が目的のようです。この見直しによって、本当に負担軽減になれば良いのですがねえ。

まあ確かに、各自治体にとっては、把握人数が減ることは、事務作業の軽減には繋がるのでしょうね。しかし保健所においては、

どうなのでしょうか? コロナ発症人数が高止まりしている現状で、本当に負担軽減になるのでしょうかね? なお疑問が残ります。

何故なら、一旦切り離したハズの軽症患者の中から、重症化して来る患者が、絶えず発生するからなんです。やっぱり保健所が、

追加対応するんですよね? であれば保健所の負担は増加し、軽減には、全然ならないんじゃあないでしょうかね?

また医療施設の負担はどうでしょうね? 初期段階のデータ打ち込み負担は軽減するかも知れませんが、後から重症化した患者の

データ打ち込みは必要になって来ますよね。ですから絶対的患者数が高止まっている状況では、さほどの負担軽減にはならないの

です。 むしろ二度手間になって、全数把握を止めるデメリットの方が目立って来ます。ですから元々患者数の多い、東京都や大阪府、

埼玉県などの自治体は、もしかすると、全数把握を止められないのではないか?と、思われるのです。

 

 さて、私の奈良家の由来地を辿る旅も、最終日を迎えました。本日は、レンタカーを借りて、弘前から、祖父の生まれ故郷である

藤崎町へ向かいます。国道7号線経由で、弘前の市街地から僅か30分程度の行程です。 藤崎町探訪のための唯一の手掛かりは、

今から18年前に、私の親父ら、当時の奈良家の一同が、藤崎町に墓参りに行った時の写真だったのでした。その写真なんですが、

最初の写真は、奈良源三郎墓の写真ですね。明治の初めに亡くなった、私の高祖父に当たります。そして2枚目の写真では、奈良

源三郎墓の隣りに、現代の奈良家の墓石も一緒に写っています。そして当時の奈良家の親族達は、この墓石の前で、心光寺の住職に

依頼して、先祖供養のお経を唱えてもらったのでした。(3枚目写真)※心光寺の住職の後ろ姿は、18年前、生前の私の親父です。

ですから私は、てっきり、奈良源三郎墓が、心光寺の墓地内にあるものとばかり思い、まずは藤崎町の心光寺を訪れたのでした。

 

心光寺は、国道7号を、舟場の交差点で左折して3分の、右側にある、浄土真宗本願寺派の寺です。(ウチの宗派も同じです。)

そこで心光寺の墓地へ行ってみたのですが、奈良源三郎墓が、全然見つからないのです。 これはどうしたことか?、と思いました。

もしかすると、訪問から18年も経っているので、明治初期の奈良源三郎墓は、既に撤去されてしまったのかも知れませんでした。

ちょうどその時、心光寺の墓地工事業者の方々が作業をしていたので、彼らにも18年前の写真を見せながら聞いてみました。でも

奈良源三郎墓については知らないとのお話しでした。え?、そんなハズはないのです、現に写真があるのですから、、、

しかし何度探してみても、心光寺の墓地には、奈良源三郎墓は無論のこと、他の奈良家の墓石も、まったく存在しないのでした。

これはおかしいことでした。18年前の記念写真には、奈良源三郎墓だけではなく、もっと新しい奈良家の墓石も多数写っていたから、

なのでした。古い奈良源三郎墓は撤去されていても、少なくとも新しい奈良家の墓石は、まだ残っているハズだと思うからです。

すると、私の旅の同伴者が、18年前の墓地の写真と、現在の心光寺の墓地の、周りの風景が違うようだと、言い出しました。

もしかすると、18年前の写真の墓地は、心光寺の墓地ではないのかも知れませんでした。しかし18年前に、読経を挙げてくれた

のは、心光寺の住職だったハズでした。これはもう、住職に直接聞くしかありません。我々は、心光寺の庫裏へと向かいました。

 

幸い、住職夫妻は在宅でしたので、18年前の写真をご覧頂きながら、奈良源三郎墓について、質問させて頂くことが出来ました。

住職、「あ!、この読経しているのは、確かに私だなあ。でもこの墓地は、ウチじゃあないなあ!」という返答だったのでした。

つまり18年前、私の親類一行は、先祖の墓石供養を、先祖の墓とは無関係な、心光寺の住職に依頼していたらしい?、のでした。

※多分ウチの現在の宗派、浄土真宗本願寺派でのつながりで、藤崎町の心光寺の住職に依頼したのだろうと、推測されます。

「ウチには、奈良姓の檀家さんは、今いないからなあ。」とのことでした。だから墓地には、奈良家の墓石が無かったのでした。

どうも住職も、18年前の記憶が、あいまいなようでした。多分檀家でもない、遠方からの来訪者の、読経依頼だったから、なので

しょう。しばらく写真を見ながら住職は、「もしかすると、中野目の方の寺かも知れないなあ。」と、ぽつんと言われました。

「え?、中野目にも寺があるのですか? 藤崎町中野目は、ウチの先祖が昔、リンゴ園を営んでいた場所なんですが、、、」

「うん、今はどうなっているか判らないけど、昔はこの辺りに寺があったハズだよ。」と言って住職は、Googleマップのプリントを

手渡してくれたのでした。 何と一縷の望みが出て来たのでした。これはもう、中野目に行ってみるしかありません。

 

我々は、住職夫妻にお礼を述べて、頂いたGoogleマップを頼りに、藤崎町中野目地区を目指したのでした。(次回へ)