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奈良家の由来地訪問の旅、鹿角から津軽へ。

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。

 

 コロナによる医療崩壊が止まりません。しかしコロナの報道は、どんどん小さく

なって来ています。まるでもはや、コロナ禍は収束しつつあるような扱いなんです。

本当は、呼んでも救急車は来ず、もちろん入院先も無し、外来診療も予約一杯で診て

もらえず、自宅療養と言われても薬は市販薬だけ、10日間の自宅隔離だけはしっかり

守らされ、10日過ぎたら、何の検査もなく勝手に終了! つまり日本国民は、コロナ

では、医療にアクセスすることが出来なくなってしまっているのですよ。これがこの3年間、国が総力を挙げて取り組んで来た、コロナ対策の結果なのでしょうかね?

コロナ病院では、スタッフが不眠不休で働き、過労死寸前まで追い込まれる中、一方

では、のんびりと診療を続けている医療機関も多数あります。返答は「ウチはコロナ患者は診ないから、」だそうです。果たして日本の医療、これでいいのでしょうか?

 

 奈良家の由来地を辿る旅も4日目に突入しました。九戸の乱での敗北で、鹿角大湯

の地を追われた我が先祖が、津軽へと落ち延びて行った経路を、本日は列車で辿ろう

と思います。フリー切符を利用して、JR十和田南駅から、弘前駅へと向かいます。

最初にJR花輪線で西の大館へ向かい、大館駅から北上し、奥羽本線で弘前へのルート

です。多分戦国末期の我が先祖達も、同様のルートを辿ったのだろうと思われます。

写真は、乗り換え地点の大館駅です。実はこの写真、古い写真を掲載しています。

何と現在大館駅は、新築工事中でして、駅舎が無いのですわ。ご勘弁下さいませ。

で、鹿角の大湯から大館までは、西へ三十数キロの行程で、奈良氏一族皆で逃げたと

しても1日で到達出来る距離です。ここまで逃げれば、南部氏領ではないので一安心

です。私はこの時、奈良氏一族が、逃走経路を二手に分けたのだと、考えています。

一族が生き残るためです。

ひとつは、北上して津軽を目指すルートです。私の先祖達の辿ったルートですね。そして

もうひとつのルートが、ここから南下して、秋田市や潟上市を目指したルートなんです。

このルートを辿った別の奈良氏一族は、後に秋田奈良家として、大成功することになります。

秋田市金足に、旧奈良家住宅が、秋田県立博物館の分館として展示されています。つまり

大館で一族は、奈良氏の存亡をかけて、二手に分かれたのでした。(両方、生き残りました。)

多分大館の地で、一族の進路を決める大会議が行われたのでしょう。この時、鹿角時代の姓

ではなく、本姓である奈良姓を名乗ろうと、決められたハズなのです。大湯氏も、奈良姓に

戻りました。と言う訳で、この大館市は、奈良姓一族の運命を決めた土地だったのでした。

 

 ちなみに、写真中央部に、犬の銅像が写っていますがコレ、秋田犬の像(忠犬ハチ公像)

といいます。大館市は、秋田犬発祥の地だそうでして、渋谷の忠犬ハチ公も、秋田犬で、

大館市出身だったそうなのでした。以前は写真のように、大館駅前に鎮座していたのですが、

現在は、秋田犬の里という観光施設が、近所に出来まして、そちらに移設されています。

安倍元総理からプーチンを通じて、フィギュアスケートのザギトワ選手に贈られた秋田犬も

この大館市から贈られたそうなんです。 って、どうしてこんなに秋田犬の説明をしているか?

と申しますと、我々実は、大館駅から弘前駅への乗り継ぎが悪くて2時間近く、この秋田犬の里

で、足止めを食らっていたのでした。ですから秋田犬について、詳しくなってしまったのでした。

さて我々は、大館駅を出発し、奥羽本線で弘前駅に向かいます。弘前は、私の祖父の出生地でも

あったのでした。その弘前では、いったいどんな出会いがあったのでしょうかね?(次回へ)