いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。 今回からは、私の奈良家の先祖を辿る旅の記録をお届け致します。
出発時点(7月初旬)では、コロナ状況は減少・安定しておりましたので安心していたのですが、出発後みるみる感染が拡大して
来まして、遂には第7波突入!と、なってしまったのでした。そう言えば、旅の終盤は、我々もあまり体調良くなかったなあ、、、
今月初旬は、関東同様、東北地方も連日猛暑でして、涼しいだろうとの期待が、裏切られた旅になってしまいました。
それでホテルでは暑くて、毎日クーラー全開で寝たものですから、のどが痛み、咳が出るという症状になってしまったのでした。
しかし幸い、発熱はありませんでした。ああよかった!
旅の初日は、宮城県仙台市の郊外にある、国営みちのく湖畔の杜公園の、ふるさと村内にある「津軽の家」(写真4枚)です。
このふるさと村では、東北各地の明治期の古民家を多数、移築展示しています。入園料は、シニア割りで、210円でした。
みちのく公園までのアクセスは、仙台駅前バス停より、タケヤ交通バス西部ライナーで約50分、みちのく公園下車すぐです。
で、どうしてここを訪れたのか?と申しますと、この建物、明治期から続く弘前市のリンゴ農家である奈良哲夫さんより寄贈された
建物だからなんです。青森のリンゴ栽培は、明治の初めに、津軽藩士の失業対策事業として、青森県へ米国から導入されました。
ですから奈良哲夫さんのご先祖も、私の先祖と同様に、明治期になってから武士をやめて、リンゴ農家になったハズなのです。
※それまで日本には、西洋リンゴは存在しませんでした。 それで奈良哲夫さんのご先祖も、状況が同じで、名字も奈良ですから、
もしかすると私の遠縁かも知れません。ですから明治期の私の先祖の暮らしを知る上でも、是非とも訪れたいと思ったのでした。
ちなみに建物の元の住所は、弘前市大字種市字熊谷です。何と熊谷!、奈良姓発祥の地名を小字に付けたのでしょうかね?、
何か縁を感じますよね? また近所には、「奈良ホルモン店」もありますよ。やはり奈良姓の多い土地柄なのですね。
但し、私の先祖がリンゴ園のために入植した場所は、藤崎町中野目ですから、若干住所は違います。ですからこの旧奈良家住宅は、
奈良姓としては遠縁かも知れないのですが、当時の近い一族ではなかったように思われます。だって、戦国末期(1600年頃)に、
鹿角から逃れて来て以来、260年以上も経過しているのですからねえ、枝分かれも、しているハズなのですよ。
で、この「津軽の家」(旧奈良家住宅)なのですが、馬小屋と住居が一体になった作りになっていました。貴重な労働力である馬を
大事にしていたことが、良く判る作りなのでした。比較的大きな農家で、使用人もいたようです。写真真ん中の説明書きをご確認
下さい。右側写真は、「だいどこ」と表示のある居間です。多分10人ぐらいが、この家で暮らしていたのだろうと思われます。
旧奈良家住宅としては、秋田市金足に、もっと有名な旧奈良家住宅が展示されているのですが、こちらは秋田県で大豪農になった
旧奈良家住宅ですから、私の津軽の先祖とは規模も違うので、見学に行った「津軽の家」が、私の先祖には、ちょうどいい印象を
持ちました。しかしながら、秋田の奈良家も、「津軽の家」の奈良家も、戦国末期の九戸の乱で敗れ、鹿角から落ち延びて来た、
武家奈良氏の子孫であることだけは、疑いのない事実なのです。
旅の初日の宿泊は、このみちのく公園に近い、仙台の奥座敷、秋保温泉のホテルに宿泊しました。さて明日は?、(次回へ)





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