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熊谷市のアイドル御家人についてⅡ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠に有難うございます。

 ※ブログ表示にトラブルがあったようで、大変失礼致しました。再アップします。

 

 明日投票予定の参院選挙が、全然盛り上がりません。選挙への無関心は、広がる

ばかりです。誰に投票しようが、結局世の中、何も変わらないから?、ですかね?

そんなことありませんよ、物価は上がるし、給料は上がらないし、世の中どんどん悪く

なっているじゃあありませんか。でも今の政治家達じゃあ、小粒で誰も期待出来ないん

ですね。議論ばかりで、結局何も決まらないんです。だから選挙には関心ありません。

お互い議論をぶつけても、妥協点は見つけられません。相手が間違っているからです。

だから議論自体が無意味になって来ます。議論が無意味だと議会も無意味になり、

もし、えいや!と、強力な実行力のある候補者が出て来れば、その候補者に投票します

けどね。政策の中身を延々と議論して、結局何も決まらないよりは、強力に実行して

くれる候補者の方が、頼もしいのですよ。議論百出で、お互い、ぎすぎすするよりは、

多少は我慢して、強い指導者に従う方が、楽でいいですよ。治安も良くなりますしね。

と言う形で、日本も、中国・プーチン的専制体制になって行くのかなあ?、、、

 

 前回は、我々奈良氏一族のご先祖の地である、熊谷の地名の由来について、疑問を書かせて頂きました。

しかし、熊谷市の歴史的アイドル 熊谷次郎直実に対して、何か恨みを持っている訳ではありませんので、

誤解無きよう、お願い致します。地名の由来と名前の由来を、ごっちゃにしないで欲しいだけなのです。

ところで熊谷市内には、熊谷直実と並ぶ、もうひとりのアイドル御家人がおります。その人物とは

写真の像の、斎藤別当実盛なのです。まあ市内に、平安末期のアイドル武士の銅像が2体もある熊谷市

というのも、実際かなり変わっていますよねえ? 今の時代、これが熊谷市のPRになるのかなあ?

で、こちらの斎藤実盛の方も、熊谷直実と同様、平家物語などで大スター級のアイドルです。

能や歌舞伎の演目にもなっています。武勇の熊谷直実に対し、シニアの憧れ斎藤実盛、という感じですかね。

さてこの斎藤実盛、越前国南井郷(福井県鯖江市)の武士の生まれで、その後武蔵国長井の荘(熊谷市妻沼)の

荘司(後の地頭)の養子になり跡を継ぎます。ですから名前に別当が付くのですね。その時分に、国宝で有名な

妻沼聖天を寄進・開基しています。 そして非常に有名な話しとしては、1155年の大蔵館の合戦で、源義朝軍に

敗れた弟 源義賢の遺児駒王丸を匿い、信州木曽へと逃してやります。その後保元・平治の乱を経て、平家方の

武将として戦って来た斎藤実盛は、これが最期の戦と決めて、「倶利伽羅峠の戦い」に臨みますが、奮戦むなしく

討ち取られてしまいます。討ち取った大将旭将軍木曽義仲は、髪が白くなった首を見て、幼い頃、自分を匿って、

木曽へ逃してくれた斎藤実盛であると知り、さめざめと泣くのでした! ああ無情!、、、

まあ、どこまでが本当なのかは知りませんけどね、軍記物や能、歌舞伎にもなり、全国各地に史跡も出来まして、

斎藤実盛は、全国的大スター武士になったのでした。と、この斎藤実盛に、何か問題があると言うのでしょうか?

いえいえ斎藤実盛にケチを付ける気は、毛頭ございません。ただ、熊谷市の扱いの方が、どうも気になるのですよ。

 

 熊谷市では、まず1977年に、指定解除されていた実盛塚(斎藤実盛の墓)が、熊谷市より何故か復活指定されて

います。そして1980年代からは、「斎藤別当実盛公遺跡探訪遊歩道」が整備され、1996年 妻沼聖天の境内には、

斎藤実盛公の銅像(写真)が建立されています。

更に2012年には、実盛が開基した妻沼聖天の本堂が国宝に指定され、斎藤実盛は、今や熊谷市を代表する歴史上の

人物になっているのでした。 でもしかし、なのです。

 そもそも斎藤実盛は、福井県の出身で、一時的に熊谷市妻沼地区の荘園の代官(荘司)をやっていたに過ぎません。

前回の熊谷直実も同じで、熊谷郷の地頭請です。つまり、荘園領地分の俸禄(給与)を得ていた訳で、斎藤実盛も

熊谷直実と同様、専業武士です。同時代でありながら、自分達の土地を主張した奈良氏や箱田氏などの在地武士とは

明らかに違います。土地には定住していないのです。ですから全国各地の合戦に参陣します。熊谷市との関わりは、

妻沼の長井荘の荘司をやっていたことと、現在の妻沼聖天を、寄進・創建したことぐらいです。まあそれだけでも、

熊谷市との関わりがあったのならば、歴史上の有名人ですから、熊谷市がその名声にあやかるのは、致し方ないこと

なのかも知れません。しかしです、妻沼(長井の荘)は2005年まで、熊谷市じゃあなかったことはご存知でしょうかね?

合併前は、大里郡妻沼町だったのです。熊谷市になったのは、つい17年前のことなのです。つまり、熊谷市は、合併

するずっと以前から、熊谷市の観光振興のために、着々と斎藤実盛の活用を準備していた?、と言うことなのですよ。 

コレ、 何となく腑に落ちないのは、私だけなのでしょうか?、、、

熊谷市は、熊谷にさほど縁のない有名武士を、熊谷市の誇りとして持ち上げ、その一方で、同時代に熊谷市内で誕生した、

奈良氏や箱田氏や別府氏、玉井氏などの在地武士団を取り上げることは少ないのでした。やはり農民上がりじゃあダメ

なんですかね? その他大勢の、鎌倉御家人達じゃあ、まずいのでしょうかね? 

しかしそれでも我がご先祖達は、熊谷市内で、時代を立派に生き抜いて来たのです。私は彼らを、誇りに思います。

(この項完)