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箱田から成田へ

 いつもこのブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。

テーマは前回から連続しているのですが、タイトルを少し変更させて頂きました。

 

 ウクライナ戦争とコロナの影響で、多くの食料品価格が急上昇しています。給料は

上がらないのに、生活はどんどん苦しくなって行きます。小麦が無くなり、いよいよ

再び、飢餓の時代が訪れるのでしょうかね? 何せ、世界戦争中ですからねえ、、。

と、言うような報道が広まりつつあります。ある部分、この訴えは正論なのですが、

別のある部分については、全然方向違いだろうと思うのです。高騰に文句は出ます。

でも日本で飢餓は起きませんよ。むしろ今の食品価格上昇、日本人にとっては、良い

ことかも知れないのです。え?、良い事ですって? いえ、行き過ぎた飽食文化や

肥満・糖尿病大国が、是正される可能性があるからです。貧困?の問題だけではない

と思うのです。むしろ文明社会、人類全体の危機の問題なんです。=文明の衰退か?

  例えば、テレビ等で、最近の米国の風景映像に登場している人々を、よく観察してみて下さい。

ニュース映像でも観光映像でも、どんな場面でもいいんです。その映像に登場している一般の

人々の体形は、半数以上が肥満体形ですわね?、男も女も、子供も大人も関係ないんです。皆さん

異常に、ぶよぶよ体形なのですよ。そう、米国自体が、糖尿病なんです。だから体力も弱くなって

いるんです。だから、今戦えば、中国に負けますよ。米国内では、スリム体形の方が少数派です。

ハンバーガーの食べ過ぎ?、貧困世帯のポテチ文化?、という言葉の通り、先進国社会には食欲を

満たすための低価格食品は、実はたくさんあるのです。その多くは、ジャンクフードなどと呼ばれ

ますが、米国民は、ジャンクフードに汚染されています。で日本も、実は良く似た状況なのですよ。

とにかく飽食なのです。肉でも野菜でも、価格の安い大量生産品は、逆に人気がありません。希少な

ブランド食品が、高くても人気です。日本人の国民食お米は、ずっと在庫がだぶつき、価格も低迷

しています。日本人は今、パンを食べずにケーキばかり食べているのですよ。 つまり、食料を含む

大量生産社会の完成によって、大量生産品では、もはや満足出来ない人々が形成されているのです。

その一方で、アフリカ諸国のように、日々飢餓の恐怖に苦しんでいる国々も、多数存在します。

もちろん日本でも、シングルマザー世帯などに、貧困問題は存在するのですが、子ども食堂や様々な

支援策によって、飢餓にまで陥る危険性は、何とか防がれているのです。⇒叱られるかな?

ですから日本では、食品高騰により消費量が減ったとしても、飢餓に陥る前に、健全な食生活に戻り、

肥満が解消し、肥満・糖尿病対策の膨大な医療費が削減されるという、良い側面も期待出来るかも!?

知れないのです。現在の日本国民にとって、食品価格の高騰は、悪い事ばかりではなさそうですよ。

要は日本では、買わなければ+食べなければ、それで良いのですから、、、

 

 さて、今回もまたまた、訳の分からない写真の登場からです。 のどかな田んぼの風景ですかね?

前回は、我々奈良氏の本家筋に当たる成田氏の、鎌倉期以前の先祖は箱田氏である、と言う新説を提示させて

頂きました。訳の分からない説ですかね? しかし箱田氏が、後成田氏の先祖であると考えると、成田氏に

ついての多くの疑問が、解決出来るのですよ。私にとっては、大変魅力的な説なのです。

しかし、保元物語や吾妻鏡では、箱田氏も出ては来ますが、成田氏の方が数多く登場していますよね? 

これはどのように考えるのでしょうか? 私は、平安末期だから、だと思います。つまり、平安初期であれば、

まだ新田も多くないので、多分箱田氏も多かったのだろうと思うのですよ、、。ん?、良く判らないですかね?

 

 そこで、箱田村について、新編武蔵風土記稿の記述に注目してみたいと思います。曰く、箱田村の記述では、

上之村新田箱方村なのです。つまり上之村の新田地区が箱方村=箱田村である、と言っている訳です。ん?、

新田?箱方?、箱方が箱田になったのですかねえ? いったい箱方って何なんでしょうかね? 実は私、箱方は

箱型じゃあないか?と、思っているのです。 え?、でも何それ!って感じですかね?

私、箱田という地名、当然稲作と関係していると考えるのです。つまり稲作農業の中で、箱は登場するのか?、

と考えた訳です。で、調べてみますと、何とあるのですね、現代名で言うと育苗箱です。つまり、稲籾をまいて

発芽させ、苗まで育てて田植えをするための箱です。これをたくさん並べると、苗代になります。で、現代の

苗代の姿が、掲示写真なんです。どうですか?箱っぽいでしょ? 昔はこの苗を、本田と呼ばれる水田の方に

運んで、苗1本1本田植えをしたのです。現在は田植え機で、一気に田植えが出来ますがね。ですから箱田とは、

ここが当時は、苗を育てる苗代田を作っていた土地なので、箱田と呼んだのだろうと、考えた訳です。

何せ箱田地区は、縄文後期から延々続く、人々の定住地ですからね、分業も進んでいたのだろうと思われるのです。

何故なら稲作農業では、分業・協業システムが進歩していなければ、実は田植え作業なんて、出来ないのですよ。

 

 熊谷市を含む北関東で、田植え=水田耕作が始まったのは、奈良時代以降だろうと考えられています。え?それ以前

でも、稲作はあっただろう?、と思われますよね? そう稲作はありましたよ、でもその初期の稲作は、水田栽培では

ありませんでした。陸稲(おかぼ)ってご存知ですかね?、水田が広く普及するまでは、畑(おか)で稲を作っていた

のです。当時の北関東では、米はまだ主食じゃあありませんでしたからね。庶民の主食は、ひえ・粟・キビの雑穀です。

ちなみに、陸稲(おかぼ)を作っていた田んぼ(畑)だから、岡田という名前になった訳です。岡田さんちの田んぼは、

水田ではありませんでした。現在でも、栃木県や茨城県では、陸稲が栽培されています。しかし現在は、ほぼ水田ですね。

無論古くからの水田も一部にはありました。但し水田は、湧水や沼のすぐ傍らに限定されていました。つまり、水田耕作は、

川から水を引いたり、畦を作ったり、給排水設備を作ったりと、田んぼを作るのが非常に大変なのです。ですから新田開発

には、当時の大規模工事が必要だったのです。農民一家族だけで出来るものではありませんでした。時代が進み、大規模な

灌漑工事が可能になってから、ようやく水田は全国に広く普及したのです。これが実は、奈良時代に入ってのことなのです。

縄文時代にも水田の跡があった!、などとよく発表されますが、湿地帯は全国どこにでもあるので、特殊例を一般化すべき

ではないと思います。本格的に新田開発が進み、水田稲作が各地に普及したのは、奈良時代以降のことなのですから。

 

どうも、教科書で教えている日本の稲作の歴史とは違いますね?確か弥生時代には既に、水田栽培が普及していたハズだと?

もちろん、大和朝廷の時代から、灌漑用水工事+新田開発は、国家事業として存在はしましたよ。しかし目的が勧農ではなく、

徴税目的であったので、地方までは普及しなかったのです。ですからそれまでの水田は、湧水・ため池・小河川流域付近など、

大規模土木工事がなくても水が利用出来る地域だけで、行われていたに過ぎないのです。また仮に水田栽培が行われていても、

何と直播き法だったのですよ。収量は増えないのです。ですからその当時のお米は、税金でしたが、主食じゃあなかったのです。

更にそれまでの田んぼ(水田であれ岡田であれ、)は、国の所有で米の税金も高かったので、農民のやる気も出ず、田んぼが

荒れて、収量も減っていたのでした。(社会主義国かね?)まあそこで、当時の政府が打ち出した、新政策が登場した訳です。

 

 天平15年(743年)に、墾田永年私財法という法律が制定されまして、新たに開墾した土地(新田)は、自分達の所有になる

と言う新制度ですね。これにより、新田開発=水田開発は、辺境の地北関東でも、一気に全国普及していったのでした。

だって、新田は自分達のものになるのですからねえ。これは村民一同、俄然張り切ります。つまりこの政策により、村全体で、

新田開発事業(灌漑工事、畦作り、田作り)が、行われるようになったのでした。熊谷市内の村々でも、新たに荒川から

用水路を引き、新たな水田を造成しました。我が奈良村(奈良別命)にも、当時の記録が残っています。村民協業の発展です。

しかし水田=新田が数多く誕生しただけでは、米はまだ、主食にはなれなかったのでした。何故なら、当時の水田では雑草や

雑草稲(ヒエ)や倒伏の被害により、1反当たりの収穫量がまだまだ少なかったからなのです。当時の稲の栽培方法に問題が

あったからなのでした。それが直まき法でした。つまり水田に、直接稲籾を蒔いていたのですよ。

直まき法だと、雑草や雑草イネも、稲と同時に生えて来まして、除草が非常に大変な作業で、更には倒伏(とうふ)・水濡れ

被害も発生して、収穫量が全然増えないのでした。せっかく村を挙げて新田開発をしたのに、ですねえ、、、

え?、またまた教科書で習った、日本の農業の歴史と違いますねえ? 日本人は弥生時代からずっと、主食のコメを水田で作って

いたのだとばかり、思っていましたけどねえ。実際の現場状況はだいぶ違っていたようです。⇒教科書が間違っているのですよ。

 

ところが、奈良時代の終わり頃にようやく、辺境の地北関東にも、西国から、遂に画期的な最新農業技術が伝来したのでした。

それは?(次回へ)