いつもこのブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
先日バイデン米国大統領が来日しまして、岸田総理との首脳会談で、ロシアの
ウクライナ侵攻もあり、軍備を大幅に増強しましょうという合意がなされた様
ですね。現在のウクライナ情勢を見ると、対ロシア、対中国という観点からも、
ある程度の軍備の増強は仕方がないか?、という雰囲気だろうと思われます。
しかしただ、仕方なく武器を買えばいいんでしょ!で済ましてしまうと、日本に
とって、大きな落とし穴が待ち構えているように思えるのです。それは何か?、
と申しますと、軍備の質の問題なんです。バイデンが提案するのは、米国製の
兵器をもっと買え、という事です。今回のウクライナ戦争でも、ジャベリンなど
大いに活躍しているだろうと、勧める訳です。米国のビジネスとしては、現在の兵器(在庫品?)を売り込みたい訳です。しかし過去ロシアも同様な形で、東欧
諸国に兵器を売り込んでいたことが明らかになりましたね。そして今回明らかに
なったのは、当時東欧諸国がロシアから買っていたのは、ロシアの旧式兵器だった、
と言う点なのです。で、今回のロシア軍の誤算は、ウクライナが保有する兵器は、多分昔、
自分達が売った古い兵器だけだろうと、誤解した点にあります。もし古い兵器だけであれば、
ロシア軍の最新兵器で簡単に駆逐することが出来ますからね。ところが実際に戦ってみると、
トルコ製のドローンとか対戦車ジャベリンとか、ロシア軍の予想もしない新型兵器の登場で、
ロシア軍は苦戦をする状況になってしまったのです。つまり兵器は常に、相手より最新兵器
じゃないと勝てない、という教訓です。戦争という実戦があるたびに、兵器はより進化します。
昔強かった兵器が、今も強いとは限らないのです。中国は今、ウクライナ侵攻の戦況を、じっと
観察・分析していますよお! 中国は、対ドローン、対ジャベリンを、当然考えている訳です。
その時日本は、現在バイデン大統領が勧める、現在の米国製兵器で、本当に大丈夫なのかどうか?
を、まずは考える必要があるのです。将棋の先読み、みたいですわね。
現在ウクライナ東部で、ロシア軍の攻勢が強まって、ウクライナ軍が苦戦している様なのですが、
もしかするとこれ、ロシア軍で現在使用されている武器が変わったから?、なのかも知れませんよ。
さて我が奈良氏の本家筋に当たる成田氏については、前回まで指摘させて頂いた通り、多くの疑問や謎が、
存在するのでした。そこでこれからは、成田氏についての、私の考え、推論を述べさせていただきます。
まずは前提として、多くの論者が指摘するように、成田氏は万系一世ではなく、成田氏中興の祖と言われる
御祖五郎家時から以降の戦国大名成田氏と、それ以前の成田氏は、やはり家系の流れが異なると考えます。
本当は、成田氏が大きく発展した14代成田顕泰(あきやす)、15代成田親奏(ちかやす)の時代に、それ以前
上之に住んでいたらしい?祖父の成田五郎家時を、御祖として祀り上げたのでしょう。そのための龍淵寺であり、
上之村神社だったのです。私には、12代成田家時が龍淵寺を創建したとは思えません。延徳期(1489~1492年)
に忍氏(児玉氏)を滅ぼし、忍領主として領地を広げたからこその、寺社への寄進だったのですよ。まあちょうど、
徳川家光が祖父家康のために、日光東照宮を完成させたようなものですかね。
この成田氏の子孫が江戸期に作った成田氏系図にせよ成田記にせよは、ご先祖を顕彰する目的のものですよね。
ですからその内容は、さほど信ぴょう性のあるものではありません。そして、成田氏本家を名乗ったのは、多分、
家格や伝統が欲しかったからなのだろうと思います。その意味で、この後北条氏ならぬ後成田氏は、安保氏系か
どうかさえ、疑わしいと思われるのです。成田記によれば、15代成田親奏は、同族であるはずの別府氏、奈良氏、
玉井氏、箱田氏の所領を力で没収して家臣にしているのです。あまり同族っぽくはないように思えるのですがねえ。
まるでロシアがウクライナを、ロシアと同族であると主張して、領土を拡張しているのと同じではありませんか?
つまり、室町期以降の後成田氏は、少なくとも鎌倉期までの成田氏本家とは違うみたいだ、ということなのです。
まあしかしこの説は、証拠がないので言い出せなかっただけで、誰しもが成田氏について、思っていたことだろう
と思います。ですから、上之の成田氏とは、室町期に入ってから、新たに付け加えられた概念であろうと考えます。
しかしそれでは、奈良氏と同族であるハズの、上之の成田氏とは違う、元祖成田氏?については、どのように
考えれば良いのでしょうかね? 別の成田氏一族が、その昔、熊谷市内のどこかに、存在していたのですかね?
だって、平安末期の保元物語や、鎌倉期の吾妻鏡に、成田氏の名前は何度も登場しているのですからね、間違いなく
当時も、成田と呼ばれた一族が、存在したことは事実なのです。しかし、前回、前々回と見て参りましたように、
成田氏には解せない点、おかしな点が数多くあるのです。これらの疑問を解消するような新しい答えは、果たして
あるのでしょうか?
後成田氏の子孫達によって、色々書き換えられているので、なかなか難しいのですが、あるひとつの仮説を立てると、
元祖成田氏についての多くの疑問が氷解することを発見したのでした。それが今回の掲示写真なのです。
実はこの写真、歴史研究家の暗闇検校さんのブログからの転載写真なんです。これ、熊谷市箱田にある、三郎塚(古墳?)
の写真だそうです。(実は私、まだ行ったことがありません。)
かなり古そうな石碑ですね。で、三郎って誰?、な訳ですが、箱田三郎という人物の墓なのだそうです。近くには、
この箱田三郎を祀ったとされる三郎社(箱田神社)もあるそうです。この一帯の地名は、ずっと大昔から現在に至るまで、
当然箱田です。でも確か箱田氏は、我々奈良氏や別所氏、玉井氏などと同じ、成田氏の庶流一族だったハズですよね?
であれば、成田氏と関係があって当然ではないですかね? 何か問題があるのでしょうか?
実は最大の注目点は、この箱田三郎、初代成田三郎とも呼ばれている点、なのですよ、、、え?、、、(次回へ)

コメントをお書きください