私自身の直接先祖の歴史を辿る旅の計画Ⅲ

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。

いつも、このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。 現在は、私自身の

直接の先祖の歴史を辿る旅を、計画・立案、ご紹介をさせて頂いております。

 

<時候のコメントは、削除させて頂きました。>

 

 さて本題、旅の3日目です。前日は、鎌倉期から戦国末期まで鹿角の地を支配した、

鹿角四頭の故地と、鹿角奈良氏惣領家の領地であった鹿角市十和田大湯での痕跡を

巡り、大湯温泉のホテル鹿角に宿泊したのでした。九戸政実の乱で敗れた鹿角奈良氏

一族である大湯氏、新斗米氏、瀬田氏、小指指氏、小平氏の各一族は、北の津軽や

西の秋田へと逃れて行きました。南部氏からの追及を逃れるためです。

前日は私の直接先祖の逃走経路であった、弘前から鹿角のルートを辿って来たのです

が、本日は別の奈良氏一族の逃走経路を辿り、秋田金足の旧奈良家住宅(写真)へと

向かってみたいと思います。まあ私の直接のご先祖ではないのですが、遠縁?でもあり、

江戸期の奈良氏の痕跡・遺物が、しっかりと残っていますので、これは是非とも訪問して

実感してみたいのですよ。奈良姓の付く住宅としては、全国的にも最も有名ですし、、。

でも私は、秋田奈良家の一族も、実は私と同じ鹿角奈良氏の一族の末裔であったと、固く

信じていますからね。

 

 と言う訳で、ホテル鹿角での朝食後、朝9時前にレンタカーで103号を大館駅へと出発します。

無論車の返却のためですが、同時にご先祖達の逃走経路・空気感を体感しながらドライブします。

10時には大館駅でレンタカーを返却し、フリーパスを利用して、10ː38発の奥羽本線秋田行きで、

JR追分駅へ向かいます。何故追分駅なのか?と申しますと、旧奈良家住宅のある秋田県立博物館

の最寄り駅が、JR追分駅だからです。また更にはこの奥羽本線の経路が、まさしく秋田奈良家

一族の逃走経路を良く表しているので、それを実感することが出来るからなのです。

まあ秋田奈良家の人々は、自分達は大和(奈良)から来たのだと、主張しているんですけどね、、

しかし鹿角奈良氏の各一族は、追手の南部氏の影響が及ばない大館(比内)までは一緒に逃れ、

比内からは、北へ向かう者達と、更に西へ向かう者達に分かれたのだと思われるのです。北へと

逃れたのは、もちろん私の直系のご先祖達です。で、更に西へと逃れたのが、秋田奈良家の一族

であった訳ですね。この証拠が、JR奥羽本線で追分駅へ向かうことと、秋田奈良家の末裔である

奈良環之介氏の寄稿文「奈良家の故地を訪ねて」から解読出来るのです。関連史料リンクページに

リンクが貼ってありますのでご確認下さい。多分皆さんも、間違いなく納得出来ると思いますよ。

すなわち、大館駅を出発し秋田へ向かいますと、八郎潟駅を過ぎて、大久保と言う駅に到着します。

ここは旧昭和町豊川の最寄り駅なのです。確か奈良環之介氏の寄稿文によれば、大和(奈良)から?

出た秋田奈良家の一族が、最初に定住した土地なのですよね? ここで相談して、本姓である奈良姓

や、南都姓を名乗ったのでしたね? 奈良県には南都姓なんて誰もいないのに、ですねえ、、。多分

それ以前の姓は、新斗米や瀬田や小枝指、小平だったと思いますよ。南都姓を名乗った本当の理由は、

逆ルートにも拘らず、鹿角ではなく大和から来たことを、アピールしたかったから、なのでしょうね。

そしてこの大久保駅の次の駅が、旧奈良家住宅のある追分駅になるのです。現在は、潟上市と秋田市に

分かれていますが、当時は豊川地区と金足地区、比較的近所にそれぞれ定住したということが良く判る

のです。ですから是非とも奥羽本線の車窓からでも、この土地の景色空気を体感してみたいと思います。

 

 そして列車は、午後12:10に追分駅に到着予定です。ここから秋田県立博物館へと向かうのですが、

路線バスが廃止になっていて、徒歩で行かねばならず、少し不便なんです。旧奈良家住宅に向かう前に、

お昼ですから昼食でも摂りましょうかね?(長くなりそうなので、次回へ。)

 

 

3日目:①鹿角大湯温泉 ⇒大館⇒大久保⇒追分(秋田市金足の旧奈良家住宅)へ ※戦国末期~江戸期