元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。
いつもこのブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。
以前の奈良姓の由来・歴史ブログを、加筆・再編して、再掲載させて頂いております。
<時候のコメントは、削除させて頂きました。>
さて前回は、奈良姓一族の親戚筋に当たる玉井氏の玉井地区から、兄である別府二郎
の別府地区に入り、東別府神社(東別府城址)を見学し、成田氏系図に見える別府氏一族
の存在を確認したのでした。今回は西別府地区に足を延ばし、1日散策の最後として、
安楽寺と県史跡でもある「別府氏の墓」?を見学します。
安楽寺の九品仏堂は、新編武蔵風土記稿によりますと、別府氏の歴史より更に古く、
何と養老年間(717年~724年)に、藤原不比等⁉が、仏像を安置したことに始まる!、
とされています。その後、この地の領主となったあの初代別府二郎行隆が、仏像を追加
寄進してお堂を建立したので、九品仏堂となります。で、安楽寺の方は?と申しますと、
南北朝期に西別府氏五代の別府頼重が、九品仏堂の別当(管理者)として、新たに安楽寺を
創建したのだそうなのです。ですから安楽寺も相当に古い寺院ではあるのですが、九品仏堂
の方が、本当は更に由緒のあるお堂なのですね。まあもっとも、その由緒ある九品仏堂は
既に焼失してしまっていて、現在の九品仏像は、江戸中期の再建ものなんですけどねえ。
でも由緒だけではなく、更にすごい点は、この寺内に、写真の別所氏の墓(埼玉県史跡)が
存在することなのです。え?墓なら、奈良三郎の墓や玉井四郎の墓もありましたよねえ?、、
実はこの西別府氏の墓は、江戸期に建立された再建物などではなく、新編武蔵風土記稿によると、
何と南北朝期の文和三年(1355年)に建立された西別府氏五代の別府頼重その人の墓なんです。
墓石にはちゃんと墓碑の記載もあります。ですからつまり別府氏初代の別府二郎行隆の存在に、
ぐっと近づくことが出来る、非常に貴重な史跡であると言えるのです。ですから、単に熊谷市指定
の史跡である奈良三郎の墓や、玉井四郎の墓より格上の、価値ある「埼玉県指定史跡」になって
いる訳なんですねえ。是非ともご見学下さい。このように別府氏の墓と九品仏堂を見学する
ことによって、別府二郎と奈良三郎、玉井四郎の存在リアリティの方も、更にぐっと高まって
来るハズなんです。ここまで各兄弟の痕跡が揃うと、もはや奈良氏初代の奈良三郎の存在自体を
否定することは、不可能になるのですよ。つまり奈良三郎は、我々奈良一族の確信になるんですね。
で、の行き方なんですが、前回の東別府神社(城址)の案内石柱まで参道を戻り、右方向へ
15分程道なりに直進します。途中右側に、山田屋酒店があり、更にしばらく進むと左手に
杉田養蜂店がある十字路に差し掛かります。この路地を右に行っても、安楽寺には到達出来る
のですが、判り易いのは、もう一つ先の路地を右折する行き方です。道の真正面に九品仏堂が
見えるのですよ。ですからまずは九品仏堂を見てから、右隣りの安楽寺(別府氏の墓)を見学すると
良いでしょうね。道沿いには、史跡別府氏墓の案内石柱もあります。
これで奈良氏、玉井氏、別府氏の由来地を散策する1日コースは終了です。帰りは、安楽寺を
九品仏堂へと戻る道をそのまままっすぐ行くと、すぐにバス通りに出ます。左へ行きますと、
安楽寺入口のコミュニティバス停がありますので、籠原駅行きのバスに乗ることが出来ます。
(但し本数の方は、あまりありませんのでご注意を。)
でも、もっと時間が十分にあり、更なる関連史跡を巡りたい場合はどうしましょうかね?
その場合は場所を移動して、親・長兄の祖地である成田(上之)の地に向かいましょうか。(次回へ)

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