奈良姓発祥の地、熊谷探訪のご案内‐Ⅱ

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。

毎度、このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。

以前の奈良姓の由来・歴史ブログを、加筆・再編して、再掲載させて頂いております。

 

<時候のコメントは、削除させて頂きました。>

 

 さて前回より、奈良姓発祥の地である熊谷探訪のご案内を書かせて頂いております。

全国の奈良姓の皆さんに、是非熊谷の地を訪れて頂ければと思い、書いております。

前回は、奈良神社の祭神であり、奈良の地名の由来ともなった、「奈良別命」に焦点を

当てた旅程を、ご案内させて頂きました。

で今回は、奈良の姓が全国各地に広がった武家としての奈良氏の、発祥由来地に焦点を当てた、熊谷市内散策をご提案させて頂きましょう。皆さんの遠いご先祖に、繋がる

探訪であるハズ?、だからです。

 

旅程は、奈良神社の参拝から先が異なります。前回はその後、奈良別命の墓とされる

横塚山古墳の見学に向かい、その後は行田市へと向かい、さきたま古墳群の見学を

ご案内したのでした。

しかし今回は、武家である奈良氏発祥の由来地を巡る旅程になります。

以前のおさらいになりますが、武家奈良氏の発祥とは、武蔵武士団・成田氏系図等に

よれば、平安末期の東国武士団の勃興期に、熊谷市の成田郷(現在の上之)の地で発祥

した成田氏の初代、成田助高(隆)の三男が、奈良の地を得て、奈良三郎を名乗ったことに始まる、

とされています。

つまり奈良氏は、成田氏の同族だった訳ですね。ちなみに次男は、別府の地を得て別府二郎となり、

四男は玉井の地で玉井四郎となっています。驚くべきことには、これらの地名が現在に至るまで、

熊谷市内の各地名として、今も残っていることなのですよ。こりゃ行ってみるしかないですよね?

 

それでは奈良氏初代、奈良三郎の由来地を巡る散策をスタートしましょう。奈良神社の参拝後、元来た道を、

榎本酒店(第一鳥居)まで戻ります。突き当りの道を左折すれば、元来た国道の中奈良交差点に出るのですが、

今回は右折します。その道をまっすぐ10分程歩くと、山下家具の先右手に、「東光寺」というお寺が見えます

ので、まずはこのお寺を参拝します。実はこの東光寺、現在は建物・宗派とも変わってしまっているのですが、

それ以前は、新編武蔵風土記稿によれば、奈良三郎が創建した?「東ノ坊」という寺院であったそうなのです。

(修験道か?)現在、奈良三郎の痕跡は何もありませんが、近くですし奈良氏由来地でもありますので、訪れる

ことをお勧めします。(所要10分)

 

東光寺参拝の後、来た道を更に直進し小川を渡りますと、前方にたかしの森クリニック医院が見えますので、

その手前の路地を右折します。そのまま直進し、三本目の農道(参道)前に「妙音寺」の案内石柱が建っている

ので、その細い農道を右に入ると、お地蔵さん達が出迎える「妙音寺」に到着します。(車は通行不可かな?) 

この妙音寺は、寺伝によると藤原頼尊=奈良三郎高長の創建との由来で、写真の奈良三郎の墓があるのですよ。

ここは奈良氏の末裔としては、是非とも訪れて頂きたい由来地です。その昔、先ほどの東光寺が、東の坊と

称していたのに対し、同じく奈良三郎が創建した当時の妙音寺も、西ノ坊と呼ばれていたのだと思われます。

また、この妙音寺の地に、かつての奈良三郎の居館があった、とも伝えられています。(新編武蔵風土記稿より)

と言う訳ですから、奈良三郎の墓石は、現存する唯一の痕跡遺物ですので、奈良姓の方々としては、是非とも

ご参拝下さいませ。まあもっともこの墓石、鎌倉期のものではなく、江戸時代の享保年間に、外記という人物が

建立した墓石でして、現在は残念ながら墓地内には無く、鎖が張られた無縁墓石を整理(廃棄?)する保管場所に

設置(放置?)されているのですわ。熊谷市指定の史跡であるにも関わらず、なんですねえ、、、妙音寺の訪問時、

奈良三郎の墓の場所を探す際には、充分ご注意下さい。(無人寺院ですから、誰にも聞けませんよ。)

多分、寺にお金を払えば、きちんと奈良三郎の墓石を管理してくれるとは思うのですがねえ、、、、

 

 さて妙音寺の奈良三郎の墓石参拝の後は、どうしましょうかね? 散策ですから、ご近所巡りが良いですよね?

ちなみに、新編武蔵風土記稿が書かれた当時の奈良村は、ひとつの村ではなく、上奈良村、中奈良村、下奈良村等

に分かれていたようでして、現在の地名表記にも、各村名の名残りが表れています。

もしお昼になって、お腹が空いたようであれば、元来た道を戻りましょうかね。国道407号の中奈良交差点を、

向い側に渡り5分ぐらい直進しますと、奈良小学校前交差点信号が出て来ますので、この交差点を右折します。

公民館も小学校も郵便局も、全て奈良ですので、奈良姓の皆さんには感慨深いものがある散策だと思われます。

奈良小学校、奈良郵便局を過ぎて小さな川を渡ると左手に、「田舎っぺうどん」と言う店名の小さなうどん屋が

現れます。実はこの田舎っぺうどん、かなり特殊なうどんで、熊谷市民のソウルフード?なんですわ。市内には

何店舗もありますが、奈良地区にはこの「田舎っぺうどん下奈良店」だけなんです。あまりきれいとは言えない

この店で、名物の肉汁うどんときんぴらごぼうを、是非ともご賞味下さい。普通のうどんとは異なり、きっと

びっくりすることでしょう。いわゆる武蔵野うどんの典型なんです。

いつも混んでいて、席は大テーブルでの相席ですからご覚悟下さい。でも熊谷の味の堪能には、このうどんが

一番だと思いますよ。短時間で、奈良地区と武家奈良氏の始祖の痕跡を巡る散策でしたら、これで終了です。

昼食後にJR熊谷駅に戻る場合は、朝到着した中奈良バス停に戻る必要はありません。うどん屋を少し戻ったら、

奈良小学校前バス停がありますので、そこから熊谷駅行きのバスに乗ることが出来ます。バス料金は360円です。

 

しかし、妙音寺参拝の後、食事に向かって終了ではなく、もう少し時間がある場合は、さてどうしましょうかね?

それは次回にて。

 

 

※新編武蔵風土記稿:江戸時代の文化・文政期に、昌平坂学問所により編纂された、武蔵国各地・各村の地誌。

          奈良村各村は、巻之二百二十九 幡羅郡之四 に収録されている。

          国立国会図書館デジタルコレクション「大日本地誌体系」で閲覧可能。