奈良姓の由来・歴史の調査手法について、Ⅷ

  元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。毎度、

このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。

以前の奈良姓の由来・歴史ブログを、加筆・再編して、掲載させて頂いております。

 

<時候のコメントは、削除させて頂きました。>

 

 さて前回は、ご自身の姓の分布密度が高い地域での、時代別の同姓有名人の調査検索を

するべき、と言う提案をさせて頂きました。有名人の方が調査検索は、し易いですからね。 

まあもちろん、自分の先祖に直接繋がるかどうかは別なんですけれどね。でも良いではない

ですか。もしかしたら自分と遠い繋がりがあるかも知れない?  同姓有名人の歴史的活躍を、

自分のことのように、知ることが出来るのですからね。ただし、比較的簡単に調査が可能な、

明治期以降の有名人に比べて、江戸期の調査は、有名人と言っても実際はかなり大変なんですよ。

何故なら江戸期は、平穏な時代で、大規模な戦乱や混乱が無いんですね。ですから有名人と言えど、

平々凡々とした日常になってしまうため、記録されるべきトピックスが少なくなるからなんです。

いわんや、それに繋がる可能性のある一般人(農民)の同姓調査となると、なおさら難しいんです。

なにせ、江戸期の総人口の八割以上は、農民ですからねえ。地方では、ほぼ農民だけ、なのですよ。

但し、明治初期に農民だったからと言って、調査を諦めてはいけません。何故なら、戦国期以前までは、

農民といえども同時に武士であった可能性も高いからなんです。そして農民であっても、名字を名乗って

いた者が大多数だったのです。ですから、あなたのご先祖も、奇跡的に現在まで繋がって来ているのです

から、何らかの歴史的痕跡を残している可能性もあるのです。決して諦めるべきではありません。

 

 例えば「田中」姓などは、名字ランキング4位の大多数派なのですが、代表的な農民の姓だと考えられて

います。中田も西田も池田も、田の付く名字の多くは農民系の姓と思われるのですが、それでは田中姓が、

農民の分布と同様に、全国均一に分布しているか?と言うと、これが違いまして、何故か西日本地域に偏在

している名字なのです。どこにでもいる田中さんは、何故か東日本には、相対的に少ないのですよ。この

理由、いったいどうしてなのでしょうか? ネット上では様々な説が飛び交っているのですが、私の考えは、

次のようなものです。平安期以前からあった姓(かばね)制度は、貴族の職位や地位を表す姓で、農民とは

無縁のものでした。ところが平安末期に東国に於いて、武士兼農民が、自分達の所領であることを主張する

ために、その土地の名を氏姓として名乗り始めた訳です。これは貴族による荘園支配の否定に繋がります。

で、東国から広まったこの氏姓ブームは、鎌倉期に全国化し、武家政権の誕生となります。村単位クラス以上

の領地を持つ大規模武士兼農民は、その土地の名を名乗るのですが、小規模な農家兼武士であっても、自分の

土地であるという主張のために、氏姓を名乗りたい訳なんです。そこで彼らが取った策が、田中や中田、西田

を名乗ることだったのですよ。(この田んぼは、俺のものだ!)まあ支配権は重層化しているんですけどね。

で、どうして西日本に田中姓が偏在したのか?と言うと、西日本は基本的に、旧貴族・平氏方でありまして、

新しい支配者は、源氏ですから鎌倉・東国からやって来る訳で、領地の名前は彼らが名乗るので、現地の農民

兼武士達は、田中や中田や村田を名乗るしかなかったのだと思うのです。その後、領地名を名乗った多くの

新参領主は、戦乱に敗れて名前が消えて行きます。結局残ったのは、元々地元に土着していた小規模農民兼

武士であった、田中、中田、山田、村田姓だったのです。ですから西日本には、田の付く名字が多いのです。

 

 で写真は、江戸期の東北地方の農村をイメージしたものなのですが、時間が止まった様な感じですよね?

つまりエントロピーが低いのですよ。それなりに平和な時代だったからですかねえ。実は混乱が少ないと、

Web上に蓄積される情報量も少なくなるようです。で、江戸期(特に後期の)調査地域の同姓有名人調査が、

平和で難しいとなると、その後の明治期に、皆さんのご先祖との繋がりを探ることも、まあ多分難しくなり

ますよね。先祖代々ずっと、皆さんのご先祖達が、戸籍簿調査で判明した明治初期の住所に住んでいた

のであれば良いのですが、もし皆さんのご先祖が、同姓の数が少ない地域に居住していたのだとすれば、

何故そこに移住し・居住したのか、何か理由があるハズなんです。その理由が歴史的に判明していれば、

いいんですけどねえ、、、世の中平和で社会の混乱が少ないと、Web検索でもよく判らないのですよ、、、

もちろん社会の混乱と言っても、戦乱だけではありません。地震・風水害、大火や飢饉など色々なんです。

 私の調査ケースでは、山梨県の上野原市や大月市にだけ、何故か奈良姓が多いと言う問題・疑問でした。

他の山梨県内には、奈良姓などほとんどいないのですよ。江戸期ですから武士階級などではなく農民です。

農民に姓は無いだろう!ですって? そんなことはありません。江戸期の農民でも、姓を持っていました。

山梨の奈良姓も、もちろん農民なんです。戦乱のない時代に、多数の農民がどうして移住出来たのか?を、

考えました。江戸期の農民はもはや、武士兼農民ではありません。領主の厳密な検地により土地に縛られた、

純粋な農家として統制されているんです。勝手に一族で移住なんて出来ないのです。また農村においては、

庄屋(名主)が、村の代官として、納税だけではなく、全ての村民を掌握しています。更にの上位役で、

代官・領主が村民を管理します。ですから、領主の許可のない自由な農民一族の移住などは、本来は

有り得ないハズと、私は考えたのです。

そこで、上野原市や大月市の奈良姓の例で考えたのが、領主が主導した移住だった訳です。具体的

には、その地域での大規模新田開発とか、藩の改易・転封(国替)などですね。このような事績ならば、

地域の歴史に残っているハズだからです。有名な例としては、徳川家康によって、大阪佃村の漁民を

江戸に移住させて、江戸の佃島が開発された事績などがあります。で、このように上野原市・大月市を

調べてみますと、総社藩主秋元氏の、谷村藩主への転封(国替)の史実を発見することが出来たのでした。

信頼する地元の農民を引き連れての移住だったのですね。こうして私は、江戸期の上州の農民奈良家が、

甲州へと移住した理由について、確信を得ることが出来たのでした。(証明は不要なんです。自身の姓の

歴史と史実を結び付けてみて、自身が納得出来れば、それで良いのですよ。) 

 

まあしかし、ご先祖が農民の場合は、代々土地に定着しますので、比較的判り易いのですが、幕末・明治期に

東京や大阪に住んでいたご先祖、(江戸や大阪で町人であったご先祖様)の場合については、一体どのように

考えたら良いのでしょうかね? 何といっても当時の江戸は、世界一の百万都市でしたからねえ。(次回へ)