奈良姓の由来・歴史は突然に!(再)

 毎度このブログをご覧頂き、有難うございます。コロナ騒動が収まりません。前回の

熊谷探訪案内の終了で、奈良姓・家名の由来、歴史を訪ねるブログテーマは、一応完結

したのですが、最初の頃のブログ内容については、間違いや筆足らずの箇所も見受けられ

ました。そこでTV局等では、新たな収録が出来ないため、再放送番組が増えている状況も

ありますので、このブログも訂正・加筆の上、再掲載させて頂くことにさせて頂きます。

何卒ご理解頂きますようにお願い申し上げます。(理由になってないか?、、、)

で、奈良姓の由来ブログ、第一回からです。

 

 自身の姓である奈良姓について、関心を持ち始めた端緒については、ご挨拶のページで

ご紹介させて頂きましたので、メニュー画面より、ご挨拶ページをご覧頂ければ、と思い

ます。とは言え、奈良の名前の由来や歴史に関心があると言っても、最初は、どう調べて

良いのかも、判りませんでした。図書館などで、古文書などを調べるのかなあ?などと、

思っていたぐらいでした。ところが私、埼玉県越谷市に在住し、週末に近隣をドライブで

散策するのが趣味だったことが幸いし、偶然にも突然、大きな発見をすることが出来たの

でした。それは埼玉県内の熊谷市内をドライブ散策していた最中のことだったのですよ。

突如として、全てに奈良が付く奈良地区が出現したのでした。奈良地区内に入りますと、

信号等の看板も、奈良小学校前や奈良中学校、奈良郵便局や奈良公民館になる訳なんです。

地図住所の表記も、上奈良、中奈良、下奈良、奈良新田、などと出て参りましたよ!、、、

奈良地区では、何から何まで全て、奈良なんですよねえ! 私、奈良姓本人としましては、

もうびっくりな訳です。「へえ!、日本にこんな奈良の地区が存在するんだ!」と思った

次第でした。何故か同じ奈良の名だと、嬉しくなるんですよねえ。驚いて地図を調べますと、

熊谷市内には結構広大な、奈良地区が存在するんですね。昔は、熊谷市ではなく、「奈良村

であったようです。そんな奈良地区の中心に、「奈良神社」という名の神社が存在するのを

地図で発見しましたので、その由来を知るために、奈良神社に行ってみることにしました。

 

その神社は、古い酒屋商店の真横に、第一鳥居があって、田んぼの農道が参道になっていました。

この「奈良神社」の鳥居の扁額が、この写真なんです。地図の表記では「奈良神社」なんですが、

扁額の方は、「奈良之神社」となっていることが判ります。またこの扁額の彫刻を良く見ますと、

近隣の「妻沼聖天」の国宝彫刻と類似していますので、江戸時代中期~末あたりの、この地域の

作成であろう?、と言うことが推測されるのでした。(日光東照宮の彫刻などとも通じますね。)

 

で、この奈良という名前?地名?についてなんですが、もちろん奈良と言う地名で最も著名なのは、

奈良県の奈良市が存在する訳です。しかしこの奈良の地名の起源は、日本書紀によれば、丘陵地を

踏みならして造成されたので、奈良と呼ばれるようになった?とか、傾斜地を平らにならした

ところから、平城⇒なら と呼ばれるようになった?とする、柳田国男説などが知られています。

しかしながら熊谷市奈良地区は、元々平坦地ですし、奈良市との繋がりなど私にはあまり感じられ

ないのでした。例えば、同じ埼玉県内でも日高市には、高麗(こま)という地名があるじゃあない

ですか。高麗を訪れれば、朝鮮王朝高麗国の匂いが、ぷんぷんするのですよね?、高句麗からの

渡来人が多数、この地に居住したからですわね。ところが熊谷市内の奈良地区に行ってみましても、

奈良(平城京)の香りなどは、全く感じられないのですよ。それで「奈良神社」に行ってみれば、

奈良地区の由来・歴史などが、何か判るかも知れない?と思い、奈良神社を訪問してみたのでした。

 

さて、その小さな社殿を訪れ、神社の由緒書きを読んでみますと、これはびっくり!?、の内容が

書かれていたのでした。何とこの神社、村社(村の鎮守)であろうとばかり思っていたのが、昔は

延喜式内社(格式の高い官社)であった?、であるとか、創建は古墳時代に遡る?、などと書かれて

いたのでした。

更にこの神社の祭神には、奈良別命(ならのわけのみこと)と言う、聞いたことのない?神様の名前

まで出現したのでした。そうか!、奈良別命の神社から、奈良神社は奈良之神社だった訳なのですね?、

了解です。これは、面白くなって参りましたよ。(次回へ)

  

※奈良神社の住所:埼玉県熊谷市中奈良1969