奈良姓の歴史の調査手法についてⅪ‐⑤

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史の調査手法について、色々と書かせて頂いて

おります。毎度このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。(写真は弘前城です。)

コロナ騒動はとどまる所を知らず、続いてコロナ大不況が発生し、最後に訪れる可能性は、

世界戦争が勃発する危険性 なのです。多分今現在は、世界史的転換点であるように思われ

ますね。

 

 で、こんな時勢に関わらず、「超簡単!ご先祖調査手法」のまとめなんですが、

1、各自治体より、明治期まで遡る直系の戸籍簿を取り寄せる。(過去ブログをご参照。)

2、取り寄せた戸籍簿を元に、自身の家系図を整理・作成してみる。

  ⇒直系先祖の居住地、名前や続柄をはっきりさせる。⇒新たな発見が期待出来る。

3、平行して、自身の姓(名字)の由来・歴史を古代~江戸期まで、Web検索をしてみる。

  ⇒関連する地名・史跡・遺物等があれば、訪ねて調べてみる。

  ⇒文献資料があれば、読んでみる。⇒自身の先祖との関係を夢想してみる。

  ⇒結果、歴史的根拠の乏しい伝承だとしても、取り合えず信じて保管しておく。

4、同姓が多い県や地域(県・市町村レベルで)を、氏姓調べサイト等で調べてみる。

  ⇒何故同姓が、全国平均より多いのか、歴史的背景を調べてみる。 

  ⇒更にその地域での、同姓の有名人を調べ、自身との関連を探る。

  ⇒その同姓有名人にまつわる歴史的史跡・遺物等を見て回る。

  ⇒その有名人が、直系の先祖ではなくとも、自分の遠縁であると信じて夢想する。

5、調べた調査結果を、時代・地域ごとに整理し、一連の歴史を明治期まで繋げてみる。

  ⇒明治期から現代までは、既に自身の戸籍簿調査で繋がっているハズ。

  ⇒ それらの歴史を繋げて、古代から現代に連なる、自身の壮大な家系ストーリー(仮説)を夢想する。

  ⇒歴史的史実・文献・史跡・遺物等を、完成した家系ストーリー(仮説)を補強する材料として活用する。

  ⇒「仮説」は「確信」に変わるハズ。⇒ご先祖・家系ストーリーの完成へ。

 

 さて前回は、「超簡単!ご先祖調査手法」で、4番目の手法までご紹介して参りましたが、いよいよ今回で

完結の5番目になります。私の場合は、古代の奈良別命から始まり、鎌倉・室町・戦国・江戸と調べて行った、

それぞれの時代の奈良姓先祖の活躍を、明治期津軽の直系先祖と結び付けるための、調査作業になったのでした。

もちろんそれぞれのご先祖が、全て一本の線に繋がる必要はないのです。あくまでもそれぞれ関係性があれば、

それで良いのです。例えば讃岐奈良家と、津軽奈良家が直接繋がっているとは思えないのですが、両家の時代を

鎌倉時代にまで遡れば、両家は近所の同僚関係であった可能性が見えて来るのです。すると関係ストーリーを構築

することが可能になります。すなわち当時においては、足利氏(細川氏)も奈良氏も、鎌倉幕府の御家人仲間であった、

という関係可能性ですね。そう考えると承久の乱後に、細川氏と奈良氏は一緒に西国へと赴任した、という可能性も

同様に見えて来る訳なのです。だって同じように奈良氏は、成田氏や阿保氏、秋元氏と一緒に、秋田の鹿角へも

赴任しているのですからね。このように関係性さえ見えて来れば、あとは自在にストーリーを構築出来るのです。

もちろん歴史的整合性は、取れていなければならないんですけどね。奈良氏の鹿角から津軽への移住については、

戦国末期の九戸政実の乱が、ぴったりと当てはまりました。複数の史料に、津軽へ逃れて出仕したと、書いてある

からです。最後は、明治初期の廃藩置県時の弘前藩内に、奈良姓の家臣の存在を確認するだけで、現代にまで至る

奈良家のストーリーを完成させることが出来たのでした。こうして私の仮説は、確固たる確信に変わったのでした。

このように皆さんも、以上の調査手法を駆使して頂き、皆さん自身のご先祖調べを完成させて頂ければと思います。

まあ私の例のように、全員がぴったりと上手く行くかどうかは、判りませんけどねえ。(江戸期に江戸や上方で、

町人だったご先祖の調査は、実際かなり大変だと思いますけどね。)

 

え?、でもどうしてお前は、そんな簡単に、にすんなりと繋がったのか?、ですって? 実を申しますと、調査を

始めた最初から、私は、奈良氏の元祖、奈良三郎の子孫?に違いない、という確信があったから、なのですよ。

だって、私の曽祖父、高々祖父とも、長男にも関わらず、代々奈良源三郎を名乗っていたからなんです。(戸籍簿より)

つまり、「奈良の源は三郎である」ということなんですね。これじゃあ、信じない訳には行かないじゃあないですか!

(調査手法については了、次回へ。)