元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史の調査手法について、色々と書かせて頂いて
おります。毎度このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。
寒さから一転、今度は春のような暖かい日が続いています。ホントに春なのかなあ?
さてこれまで、私の姓の由来・歴史調査の手法を元にして、皆さんの姓や家系の歴史調査
のやり方について、色々ご説明させて頂きましたが、今回はそのまとめ編です。
皆さんがお手軽に、ご自身の歴史ご先祖調べをして頂く手順・手法は、以下の通りです。
この手法を「超簡単!ご先祖調べ手法」とでも名付けましょうかね。
1、各自治体より、明治期まで遡る直系の戸籍簿を取り寄せる。(過去ブログをご参照。)
2、取り寄せた戸籍簿を元に、自身の家系図を整理・作成してみる。
⇒直系先祖の居住地、名前や続柄をはっきりさせる。⇒新たな発見が期待出来る。
3、平行して、自身の姓(名字)の由来・歴史を古代~江戸期まで、Web検索してみる。
⇒関連する史跡・遺物・地名等があれば訪ねて調べてみる。
⇒文献資料があれば、読んでみる。⇒自身の先祖との関係を夢想してみる。
⇒結果、歴史的根拠の乏しい伝承だったとしても、取り合えずは、信じて保管して
おく。(断片的情報の整理)
4、同姓が多い県や地域(県・市町村レベルで)を、氏姓調べサイト等で調べてみる。
⇒何故同姓が、全国平均より多いのか、歴史的背景を調べてみる。
⇒更にその地域での、同姓の有名人を調べ、自身との関連を探る。
⇒その同姓有名人にまつわる歴史的史跡・遺物等を見て回る。
⇒その有名人が、直系の先祖ではなくとも、自分の遠縁であると信じて夢想する。
5、調べた調査結果を、時代・地域ごとに整理し、歴史を明治期まで繋げてみる。
⇒明治期から現代までは、既に自身の戸籍簿調査で繋がっているハズ。
⇒ それらの歴史を繋げて、古代から現代に連なる、自身の壮大な家系ストーリー(仮説)を夢想する。
⇒歴史的史実・文献・史跡・遺物等を、完成した家系ストーリー(仮説)を補強する材料として活用する。
⇒すると「仮説」は「確信」に変わるハズ。⇒ご先祖・家系ストーリーの完成へ。
と、このような手法・手順で、ご自身のご先祖・家系ストーリーを構築することが可能になります。
1番目の「戸籍簿の取り寄せ」方法については、「奈良姓の歴史の調査手法についてⅡ」で、詳しくご説明
させて頂いておりますので、そちらをご参照頂きますようお願いします。またネットでも、「除籍簿謄本の
取り寄せ方法」で検索して頂ければ、多数の情報を得ることが可能です。また私の過去ブログのアクセス方法
としては、メニューの「奈良姓の由来ブログ」から、いちいち過去ブログを辿って頂くよりは、ページ下段の
サイトマップより、ブログタイトルからアクセスして頂く方が 、早くアクセスが可能だと思われます。
そして、皆さんのご先祖の明治期まで遡る「除籍簿謄本」が、お手元に準備出来た段階で、いよいよ2番目の
直系家系図作りに着手して頂く訳ですが、直系部分だけでしたら、比較的簡単な手順であろうと思いますね。
自分の叔父・叔母の家系は無視して、直親とその兄弟だけを辿って行けば良いのですからね。
重要確認事項としては、名前と居住地住所ですかね。後の姓の歴史調査の方にも関係して来ますからね。
これらの自身に関わる基本資料が準備出来たところで、いよいよ3番の、自身の姓の由来調査へと進んで
行きます。(次回へ)

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大阪の奈良氏末裔 (日曜日, 16 2月 2020 23:58)
はじめまして。
奈良氏の築いた山城が聖通寺城、亀山(丸亀城)、櫛梨山城以外にあるかな?と検索していてたまたま貴殿のブログを見つけました。
驚きました。
私と同じように氏族のルーツを求め、熊谷の奈良神社に行かれたのですね!
私は大阪在住、還暦のおっさんですが、香川県宇多津町出身で、姓は異なりますが、
高祖母が奈良家からの嫁であり、奈良氏末裔と自覚しております。
香川県のような、そう人口も多くなく、出入りもそう多くは無かった所では、結構ルーツは辿りやすいのかもしれませんが、それでも今も高祖母の家は残っており、当主がはっきりと奈良元安を祖先と書いておられます。
私が熊谷に行ったのはまだ昨年6月のことです。自分のルーツ探求、とても面白いですね。取り急ぎ、感動したので、まず一報をと思いました。
ただ、今宇多津の津の郷には奈良姓の方はいらっしゃらないようです。
香川県の奈良姓の有名人で奈良専二はご存じありませんか?ウィキペディアにも載っていました。
明治の三老農の一人で、60才から出奔、何故か秋田かr招かれ活躍、地元でよりも秋田では有名だったようです。何故秋田?と思っていました。奈良姓が秋田で多いことと何か関係あるのかどうかわかりません。
それと、奈良三次。または高幢竜暢。
コトバンクで検索できますが、大覚寺門跡でした。
いずれも、四国新聞社刊・讃岐人物風景という本に載っています。実はこの2人、兄弟で、私の高祖母の兄たちです。
大阪の奈良氏末裔様 (水曜日, 19 2月 2020 18:31)
筆者の奈良です。貴重な情報コメント、有難うございます。
大阪にも奈良氏の末裔の方がいらっしゃるとは驚きました。大阪ですと近くに尼崎(摂津)がありますので、
摂津守護代をしていた当時の奈良氏の足跡なども判ると面白そうですね。
大阪の奈良氏末裔 (金曜日, 21 2月 2020 00:13)
奈良様
コメントありがとうございます。
摂津尼崎の守護代だったのですね。
どこかに痕跡があればいいのですが。
ただ、尼崎は著しく変わっていますので、見つけるのは難しでしょうね。
また、宇多津の津の郷の方が変化が少ないと思いますが、地元の人間も何も知らないようです。
聖通寺山の中腹の聖通寺に立てば、細川頼之がいかに奈良氏を信用していたかわかりますよ。頼之館まで直線至近距離だからです。
そおういえば、大阪府茨木市に「奈良の跨線橋」は車で走っていて目に付きます。春日神社が近くにあるからという説がどこかに載っていたと思います。
三好三人衆方の文書にも奈良氏は名が出てきますが、元政が太郎左衛門を住まわせていた「上方」とは、どこなのでしょうかねえ。