奈良姓の歴史の調査手法について、Ⅷ

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史の調査手法について、色々と書かせて頂いて

おります。毎度このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。

今年は暖冬で、雪が全然降りませんですね。やはり異常気象なのでしょうねえ。

 

さて前回は、ご自身の姓の分布密度が高い地域での、時代別の同姓有名人の調査検索をする

べき、と言う提案をさせて頂きました。有名人の方が調査検索は、し易いですからね。 

まあもちろん、自分の先祖に直接繋がるかどうかは別なんですけれどね。でも良いではない

ですか。もしかしたら自分と遠い繋がりがあるかも知れない?同姓有名人の歴史的活躍を、

自分のことのように、知ることが出来るのですからね。ただ、比較的簡単に調査が可能な、

明治期以降の有名人に比べて江戸期の調査は、有名人と言っても実際は大変なんですよ。

いわんや、それに繋がる可能性のある一般人(農民)の同姓調査となると、なおさら難しいんです。

なにせ、江戸期の総人口の八割以上は、農民ですからねえ。地方では、ほぼ農民だけなのですよ。

写真は、江戸期の東北地方の農村をイメージしたものなのですが、時間が止まった感じですよね。

つまりエントロピーが低いのですよ。それなりに平和な時代だったからですかねえ。混乱が少ないと、

Web上に蓄積される情報量も少なくなるようです。で、江戸期(特に後期の)調査地域の同姓有名人調査が、

平和で難しいとなると、その後の明治期に皆さんのご先祖との繋がりを探ることも、難しくなるから

なんです。先祖代々ずっと、皆さんのご先祖達が、戸籍簿調査で判明した明治初期の住所に住んでいた

のであれば良いのですが、もし皆さんのご先祖が、同姓の数が少ない地域に居住していたのだとすれば、

何故そこに移住し居住したのか、何か理由があるハズなんです。その理由が歴史的に判明していれば、

いいんですけどねえ、、、世の中平和で社会の混乱が少ないと、Web検索でもよく判らないのですよ。

もちろん社会の混乱と言っても、戦乱だけではありません。地震・風水害、大火や飢饉など色々なんです。

私の調査ケースでは、山梨県の上野原市や大月市にだけ、何故か奈良姓が多いと言う問題・疑問でした。

他の山梨県内には、奈良姓などほとんどいないのですよ。江戸期ですから武士などではありません、

農民に姓は無いだろう!ですって? そんなことはありません。江戸期の農民も、姓を持っていました。

山梨の奈良姓も、もちろん農民なんです。戦乱のない時代に、農民がどうして移住出来るのかを、必死で

考えました。江戸期の農民はもはや、武士兼農民ではありません。領主の検地により土地に縛られた、

純粋な農家として統制されているんです。勝手に一族で移住なんて出来ないのです。また農村においては、

庄屋(名主)が、村の代官として、納税だけではなく、全ての村民を掌握しています。更にの上位で、

代官・領主が村民を管理します。ですから、領主の許可のない自由な農民一族の移住などは、有り得ない

ハズと、私は考えるのです。

そこで、上野原市や大月市の奈良姓の例で考えたのが、領主が主導した移住だった訳です。具体的

には、その地域での大規模新田開発とか、藩の改易・転封(国替)などですね。このような事績ならば、

地域の歴史に残っているハズだからです。有名な例としては、徳川家康によって、大阪佃村の漁民を

江戸に移住させて、江戸の佃島が開発された事績などがあります。で、このように上野原市・大月市を

調べてみますと、総社藩主秋元氏の、谷村藩主への転封(国替)の史実を発見することが出来たのでした。

信頼する地元の農民を引き連れての移住だったのですね。こうして私は、江戸期の上州の農民奈良家が、

甲州へと移住した理由について、確信を得ることが出来たのでした。(証明は不要なんです。自身の姓の

歴史と史実を結び付けてみて、自身が納得出来ればそれで良いのですよ。) 

まあしかし、ご先祖が農民の場合は、代々土地に定着しますので、比較的判り易いのですが、幕末・明治期に

東京や大阪に住んでいたご先祖、(江戸や大阪で町人であったご先祖様)については、一体どのように考えたら

良いのでしょうかね? 何といっても当時の江戸は、世界一の百万都市でしたからねえ。(次回へ)