元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。毎度
このブログをご訪問頂き、誠に有難うございます。 本日は秋晴れの良い天気ですね。
さて前回は、私の祖父奈良源太郎が、明治末期に青森県藤崎町のリンゴ農家を離れ、
北海道室蘭市へと移住した経緯について、多くの推測を交えて書かせて頂きました。
当時の移住も、現在の就職・転勤などと違って、覚悟を決めた決断だったのでしょう。
さてそれでは、このホームページの端緒となるご挨拶ページでの大問題でありますが、
写真の奈良源三郎の墓は、果たして私の奈良家に繋がる墓なのかどうか?、という
問題に行き当たるのでした。この墓が、五代前の高祖父である奈良源三郎の墓であれば
、現在の私と完全に繋がることが証明出来るからです。逆に違っていれば、別の奈良
源三郎の痕跡を、探さねばならないからなのです。果たしてこの墓の真相はいかに?
と言うことで、まずはこの墓地心光寺の住職が、何故ウチの墓ではないかも知れない、と言ったのか?を、探ってみたいと思います。寺の過去帳などが残されていないようなので、墓石をパッと見て思い当たるのは、家紋が違う!、と言うことなんです。
この墓石の家紋は、多分「丸に木瓜紋」であろうと思われますが、現在のウチの家紋は、「丸に二つ引き紋」なんです。(新ホームページのロゴにも使用しています。)
明らかに違いますよね?、ですから住職は、ウチの墓とは違うのではないか?と、言ったのだと思われるのです。家紋が全然違いますからねえ、指摘は当然だと思います。
しかしながら、墓標が奈良源三郎である以上、この墓の主は、私の直系の奈良源三郎の
墓かどうかは別として、鹿角奈良氏の末裔である奈良源三郎の墓であることは間違いないのです。当時の奈良源三郎さん達が、どこまで理解していたのかは不明ですが、奈良
源三郎と言う名前には隠された意味があるのです。その意味とは「奈良姓の源は、三郎
である。」と言う意味なのです。そうです、武蔵国出自の奈良氏の祖、奈良三郎です。
ですから、奈良源三郎の名は、奈良家に代々引き継がれて行くことになります。(少なくとも明治期までは、)ですから写真の墓の墓標は、良くある「奈良家先祖代々の墓」など
ではなく、墓標「奈良源三郎」なのです。つまり奈良源三郎は、特定の個人の名前ではない
のですよ。代々奈良源三郎なんです。多分、奈良氏直系?であることの、アピールのため
だったのではないかと思います。何故なら秋田に逃れた奈良家には、この風習は見られないから
なんです。農民風の名前になっているんですね。つまり青森に逃れた奈良氏こそが、本流なのだ、
というアピールのための風習のようなのです。更に言えば、青森奈良家に於いて、源三郎あるいは
三郎は、三男坊の名前ではなく、長男(跡継ぎ)の名前なんです。そこで弘前藩士の奈良氏の名前を
調べてみると、太郎や次郎はあまりおらず、多くの三郎の名前だらけであることが判明するのです。
(皆んな、鹿角奈良氏の子孫なんですよ!) 家名の伝承というのは続くものなのですねえ。
そこでウチの家系図を調べてみますと、祖父源太郎の長男の名前も、何と源三郎の名が命名されている
ではありませんか! 私の伯父(父の兄)の名前も、源三郎だったのでした! 知らなかったです!
と言う訳で、多分ウチの高祖父奈良源三郎も、鹿角奈良氏の末裔であること自体は判りました。しかし
家紋が違うと言う点は、どのように考えれば良いのでしょうか? やはり写真の墓は、心光寺の住職が
言うように、ウチとは違う、別の奈良家の墓なんじゃあないでしょうかね? (次回へ)

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