元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。毎度このブログをご訪問頂き、誠に
有難うございます。10月なんですが、本日も気温は高く、暑い見込みですねえ。
さて前回は、戦国末期天正19年(1591年)の九戸政実の乱により、鹿角の領地を追われた鹿角奈良氏の末裔である
可能性の高い?、江戸期の秋田は小泉村(金足村)の豪農:奈良家について、ご紹介させて頂きました。
確か秋田県立博物館の説明では、左写真の旧奈良家住宅は、江戸時代中期の宝暦年間(1751~1763年)に、奈良家
九代善政(喜兵衛)によって建てられたのでした。(金足村移住時の8代前を計算すると、1591~1603年頃の入植に
なります。)私はこの奈良家も、九戸の乱後、青森・秋田の各地に散った、鹿角奈良氏の末裔だろうと考えたのでした。
奈良家住宅の江戸末期の住所は、出羽国(羽後国)秋田郡小泉村です。金足村になったのは、明治になってからです。
で私が何故、このような江戸期の農民の住宅に注目するのか?と申しますと、やはりその住宅規模が巨大であるから、
なのです。江戸期の奈良家住宅の、敷地面積は、7400㎡(約2200坪)です。これ、もちろん田畑を含んだ面積では
ありませんよ。純粋に屋敷部分だけの敷地面積なのです。(「旧奈良家住宅の付属屋とその周辺」より)
家を建てた宝暦年間には既に、170町歩、40ヘクタール(40万㎡)以上の田畑を所有する、大地主になっていたそうです。
庄屋の住宅だとしても、大き過ぎるのですよ。まあ明治期に入りますと、実は更に、もっと大きくなるんですけどね。
また奈良家住宅には、江戸期の農家住宅だと言うのに、回遊式の庭園!があるのですよ。これって、武家の館ではない
のか?と、思ってしまう訳なのです。まあ、こんな規模だからこそ、国の重要文化財にも、なってしまう訳ですね。
私は、江戸初期から僅か8代で、これだけの豪農になるためには、一家族だけでの入植・起農では、不可能であったろう
と考えています。つまり、最初から、大規模な一族郎党による入植・起農があったに違いないと思われるのです。
一般的にそれは、戦乱や領地替えによる移住ですね。例えば米沢藩は、越後から会津、そして山形米沢の地へと移住を
余儀なくされています。でも江戸期に戦乱はありません。ですから戦国末最後のいくさ、九戸政実の乱による影響を
考える訳なのです。鹿角郡に散らばっていた、大湯氏を始めとする奈良氏一族(新斗米氏、小平氏、瀬田氏、芦名沢氏)
で、九戸方に味方した氏族は、大里氏(安保氏)の一族も含めて、豊臣方や南部氏(南部藩)の追求を逃れるために、
多くが鹿角の地から他所へ移住したことは間違いないのです。(「東北縦貫自動車道発掘調査報告書Ⅰ」より)
一族で入植ですから、秋田奈良家は、秋田を代表するような豪農になることが出来たのです。そして新天地では、鹿角での
姓を捨て、自分達の本姓(本名)である奈良姓を名乗ることになるのです。
まあただ、江戸期の秋田奈良家には、9代善政(喜兵衛)の時、新築した屋敷に、東北の旅人・文人:菅江真澄が逗留
していた、と言う事績ぐらいしか、後世の記録はありません。まあ秋田の豪農・名家とは言え、所詮農民ですからねえ。
その後、この奈良家が注目されるのは、江戸末期に、石川理紀之介(真ん中写真)が誕生してから後のことなのです。
石川理紀之介とは、明治期の秋田を代表する農業指導者・歌人です。元の姓は奈良で、金足村奈良家(本家)の分家の
家(奈良周喜治・トク夫婦の三男)に生まれ、幕末22歳の時に、石川家に養子に入っているそうです。秋田農業の父と
呼ばれているようですから、現在の金足農業高校の授業でも、必ず名前の出て来る偉人なのでしょうね。詳しい事績は、
ウィキペディアなどをご参照下さい。 更にその後の大正・昭和期には、秋田県を代表する経済人・文化人となる、
奈良磐松(右写真)が現れるのです。奈良磐松は、明治12年、金足村奈良家本家:奈良茂の次男として誕生し、兄が
死去したため家督を継ぎ、金足村村長、女学校の理事長、旧秋田銀行頭取などを務め、後年は美術品蒐集家としても
活躍したそうです。こちらも詳細は、Webで調べてみて下さい。石川理紀之介、奈良磐松の事績については、Web上に
たくさんありますよ。ただ、奈良磐松の出身校である、秋田県立秋田高校(旧制秋田中学)の同窓会ホームページに、
奈良磐松の紹介ページがあるのですが、その中に「秋田奈良家の歴史は大変古く、弘治年間(1553~58年)に大和
小泉村(奈良県生駒郡片桐町小泉)から一族とともに、出羽の豊川村(南秋田郡昭和町豊川)に移住したことに始まる。」
と言う記載があるではありませんか!? さてこれは、一体どういうことなのでしょうかね?(次回へ)
「旧奈良家住宅の付属屋とその周辺」 秋田県立博物館研究報告 第20号 1995
秋田県立秋田高等学校同窓会ホームページ内「奈良磐松」紹介ページは、史料リンク集ページにあります。




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