鎌倉期における奈良氏の活躍?Ⅱ

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来や歴史について、書かせて頂いております。毎度ご訪問頂き、誠に有難う

ございます。 本日は、ようやく少し涼しくなって来ましたね、いよいよ秋ですかね?

 

さて、源頼朝による奥州征伐に従軍した、成田氏一族なのですが、その後、陸奥国の北部、鹿角郡(秋田県鹿角市)の

地頭として、名前が現れて来ます。写真は、江戸時代に編纂され、南部叢書に収録されている、「鹿角由来記」の一文

なのですが、左ページ大同2年(平安時代)に天狗!が飛来した話しの次に、「鹿角郡四天侍之事」と言う記事があります。

「都から、まず阿保(安保)氏一族が鹿角へ下って来られた。御子が3人おられて、長男は大里の地を所領として大里氏の

始祖となり、次男は花輪の地を所領として花輪氏の始祖となり、三男は柴内の地を所領として柴内氏の始祖となった。

その後、秋元氏、成田氏、奈良氏の一族が、鹿角に下って来られた。奈良氏は、大湯村を所領とした。鹿角の民は、

阿保氏、秋元氏、奈良氏、成田氏を、四天士と呼んだ。」と言う内容ですわね。都より?ってねえ、、、

都って、鎌倉幕府のことですかねえ? いわゆる「鹿角四頭」の登場です。

 

最初に来た阿保氏とは、安保氏のことで、埼玉県児玉郡の安保村を祖地とする鎌倉武士団で、成田氏の親戚です。

自らの権威付けのために、同じ発音で貴族の家系である阿保氏を詐称した可能性があります。

奥州征伐の成田助綱の代に、成田氏の縁戚になっています。更にその後の鎌倉幕府滅亡後には、成田氏本家の

没落(南朝方)に伴い、安保氏が成田氏の所領・家系を引き継ぐ形で、安保氏系の成田氏は、何と江戸時代まで

継続する形になったのでした。(「東国における一武士団」より)

 

また、奈良氏と成田氏は、もちろん同族ですわね。以前のページをご参照下さい。で、秋元氏とは、鎌倉幕府御家人で、

有力氏族の宇都宮氏から分かれた、千葉県君津郡秋元村を祖地とする氏族です。成田氏との関係は、御家人同士と言う

以外は不明です。まあ幕府からは、この四氏族で、鹿角の地を分割統治するよう、命じられたのでしょう。

我らが奈良氏も、大湯村(大湯温泉)に所領を得て、大湯氏を名乗るようになります。つまり、鹿角の大湯氏の本姓は、

奈良である、と言うことになるのです。

こうして鎌倉期に、秋田県鹿角郡に入植した四氏族は、お互いに縁戚関係を結びながら、その後42の村落の館(城?)に、

42人の在地分家領主が存在し、以降戦国期まで続く、鹿角四頭一族による、鹿角支配体制が確立して行ったのでした。

 

まあしかし、鹿角の大湯氏(本姓:奈良氏)には、その後の戦国末期に、重大な悲劇が、待ち受けているんですけれどねえ。

でもそのお話しの方は、後代の話しに譲ることにしましょう。(次回へ)

 

 

「鹿角由来記」:江戸期に編纂された南部叢書第一部に収録(南部叢書刊行会編)

「東国における一武士団」:伊藤一美 学習院史学 1972