奈良姓の由来・歴史は突然に!Ⅲ

 元眼底メディカルで、奈良姓の由来・歴史について書かせて頂いております、

奈良でございます。毎度、このブログをご訪問頂き、誠に恐縮であります。

夜には少し涼しいかな?、と感じたのですが、昼間は同じ暑さですねえ。

 

前回までは、熊谷市内に奈良と言う、自分の名前と同じ地区名称を偶然発見し、

奈良神社では、奈良地区の発祥の伝承について、興味深く知ることが出来た、

と言うお話しでした。しかしながら所詮、古墳時代の奈良村や奈良別命は、同じ

奈良名称で、面白いとは言え、自分の名前との関連性の方は、あまり感じられ

なかったのでした。私が、奈良別命の子孫であるハズも無いのですからねえ、、

  

それで、何か奈良姓に結び付くような史跡や遺物が、奈良地区にないのか?を、

手っ取り早く、インターネットで色々調べてみることにしたのでした。

すると、出て来たのがこの写真、熊谷市指定記念物・史跡「奈良三郎の墓」!?

だったのでした。上奈良地区の妙音寺と言う寺に、この墓はあるそうなのです。

墓?と言うよりは、ただの石みたいに見えますけれどねえ、、、。

でもしかし、奈良三郎って誰?、とは思いますよね。まあ奈良姓を名乗る人物

が、奈良村にもいたんだな!、ぐらいは思いましたけれどね、、。

 

熊谷市の観光案内パンフレットによりますと、「奈良三郎は、成田助隆の三男、

三郎高長で、奈良氏を名乗ったので奈良氏の祖と言われています。後に妙音寺を

開基しました。奈良三郎の墓と言われている自然石の表面には、開山観音院頼尊

などが刻まれており、享保年間(1716~1736年)に外記という人物が再建した

ものであると、伝えられています。」(熊谷市文化財ガイド)とのことでした。

これはすごい発見ですよ。だって、初めて奈良氏を名乗った、奈良氏の始祖なん

ですからねえ。何と奈良という地名と奈良姓が、一気に繋がったのでありました。

でも、奈良三郎だけでなく、奈良氏なんて氏族も、あまり聞いたことありません

ですよね? 更には、成田助隆?という人物も、良く判らない訳です。そこで

本当なのかしら?、と言うことで、成田助隆と奈良三郎や奈良氏(家)について、

私は本格的に、じっくり調べてみることにしたのでした。

 

その結果私は、奈良三郎の奈良氏と現在の私が、長い時を越えて、多分繋がっているに

違いない、と言う確信を、遂に得ることが出来たのでした。

これからのブログで、その歴史的流れを、じっくりと解きほぐして行きたいと思います。

奈良姓の由来・歴史について、多少は興味を持って頂けましたら幸いです。(次回へ)

 

 

※妙音寺(奈良三郎の墓):埼玉県熊谷市上奈良702