医療器械屋という仕事の将来についてⅥ

 眼底カメラレンタルの眼底メディカルです。毎度、このブログをご訪問頂き、誠に有難う

ございます。梅雨に入ったハズですが、本日は晴れておりますです。

昔の医療器械屋は、ひどかった?悪かった?、というようなお話しが、ずっと続いている

ものですから、謝罪(スイマセンでした)のイラストが、ず~っと、続いておりますですが、

そのひどかった内幕模様だけではなく、その歴史的背景について少々、、。

 

その昔、個人病院から官公立病院に至るまで、広く蔓延していた接待・リベート提供の構造は、

当時の病・医院が、医療の特殊性に守られ、儲かっていたからこそ可能だった訳なのですが、

この背景には、日本の経済成長の持続と、日本医師会の、強い影響力がありました。増大し

続ける医療費への抑制策は、以前より議論にはなっていたのですが、当時はまだ、日本経済の

成長は続いておりましたから、医療費増大は、医療の特殊性の名のもとに、黙認されていた 

のでした。これを側面から応援して、医療費抑制策を企てる大蔵省や厚生省の官僚と戦っていた

のが、当時の日本医師会の武見会長でした。何せ当時の医師の比率では、70%は開業医でした

から、日本医師会の影響力は絶大だったのですよ。開業医のストライキなんてことも、やった程

でした。このような医師や病院が優遇されていた時代でしたので、医療器械屋も、ぬくぬくと

業界に寄生して居れたのでした。

 

この状況が一変するのは、私の印象では、80年代末のバブル崩壊が契機になったと思いますね。

それまで右肩上がりであった日本全体の成長が止まり、景気が悪化して、税収が激減したため、

医療は特別と、優遇することが出来なくなって来たのでありました。

ところがしかし、医療費の方はその後も、不況になろうがお構いなく、増大し続ける訳なのです。

逆に医療は特別、という訳ですね。その結果この間、日本の財政全体に占める医療費の割合の方も、どんどん大きくなりまして、まあ医療費増大の問題が、政治の中でも目立つようになってしまった

のでありました。

そして遂に2000年代に入り、小泉構造改革の名のもとに、医療制度改革が実施されることになり、

これにより、医療優遇の時代は、遂に終わりを迎えることになります。医療制度改革については、

色々細かいので、皆さんでお調べ下さい。またこの頃には、医師に占める勤務医の割合が増大した

ため、相対的に、圧力団体としての日本医師会の力も、弱まって来ていたのでした。

と言う訳でこの後は、医療費抑制策の推進によって、医療業界は、一転、冬の時代へ突入して行く

ことになります。医師の診療報酬も下落し、薬価も下落し、医療器械の価格も下落して行きました。

医療器械屋としての収益の方も、激減してしまったのでした。まあ、見かけの売上げ額は、増大して

いるんですよ。でもですね、利益の方は、どんどん減少して行ったのでした。ですからその後は、

「病院も赤字、医療器械屋も儲からない、」になって、以前のような「やんちゃ」は、もう出来ない

状況になって行くハズでした。

ところがしかし、医師等への、キックバックリベート構造だけは、手を変え品を変えて、その後も

脈々と、続いていたのでありました。(次回へ)