医療器械屋という仕事の将来についてⅣ

 眼底カメラレンタルの眼底メディカルです。いつも、このブログをご覧頂き、誠に有難う

ございます。6月に入り、梅雨入りの季節なのですが、本日は晴れておりますです。

 

医療器械屋が、まだ高収益であった時代、医療器械の街「本郷」が、新興医療器械屋などに

とって、どのような街であったのか?を、お話しさせて頂いております。

本郷の生い立ちについては、以前のブログでも少し書かせて頂きましたが、江戸時代、日本橋本町

界隈に多数存在した薬種問屋では、薬と一緒に、医療器具(ハサミやメス)なども一緒に扱って

おりました。ところが明治期に入りまして、薬というか医学の流れが、漢方・蘭方から、ドイツ

医学に変更されまして、それまで流通していた漢方薬が、販売規制を受けるようになった訳なの

です。そのため、いくつかの薬種問屋は、薬の販売に見切りをつけ、もうひとつの医療器具の製造

へと、舵を切ることになりました。で、その際、新しいドイツ式の医療器具をマスターするために、

医療器具職人たちは、東京大学医学部の門前、本郷に移り住んだ、と言う訳なのでした。

当初の器械屋は、色々な器具を作っては売って、なのでしたが、次第に分業が進んで参りまして、

それぞれの器具作りでの専門性を追求するようになります。鋼製小物が得意な器械屋、ゴム製品が

得意な器械屋、ガラス製品が得意な器械屋などに、分化して行きます。でもまだこの時代、自分の

得意分野の器具だけじゃあ、食べて行けないんですね。お得意様(医院)も、それぞれ違っており

ましたからね。それで本郷の器械屋の間では、お互いに商品を融通し合う制度が、出来あがって

行ったのでした。互助制度みたいなものですわね。だって元々は、皆「いわしや」屋号の同門でしたからねえ。ですからお互い、親戚みたいな関係だったのですよ。

 

で、その後更に医療の発展により、本郷の医療器械屋も、更なる変貌・分化を遂げます。つまり、 

メーカー、問屋、販売店への分化です。今までは、自分の得意分野はあっても、その分野だけでは

食べて行けないため、自分のお得意さん(病院)には、他の商品も仕入れて販売したり、自分の

商品は、よその店にも卸したりもしていたんですが、市場規模の拡大によって、それぞれの業態 

ごとに、何とか食べて行けるようになって行ったんです。それで本郷の中に、メーカー、問屋、

販売店が、形成されるようになりました。現在の医療器械屋の各業態で、本郷内だけでの商売では

なく、全国各地の顧客(病院)に向けての販売体制が、整ったのでありました。

各地の病院に出入りし、医療器械屋さんと呼ばれていたのは、販売店でした。本郷の販売店の1日は、

朝まず、本郷内のメーカー、問屋をぐるっと回って、本日の納品予定商品を仕入れます。お互い、

知った仲ですので、事前注文をしていなくても、店に出向けば、商品を仕入れることが出来ました。

もちろんお互い、現金ではなく掛け売りです。この掛け売りの条件が、俗に本郷ルールと呼ばれる、

毎月20日締め、翌月15日起算の90日手形支払いへと、繋がります。お互い、信用商売ですわね。

で、本郷内での仕入れ業務が完了すると、いよいよ自分の顧客である病院へ、これら商品を持参する

ことになります。病院への納品は、手書き仮伝票で、受領サインを貰っていましたね。

 

さて、販売店は判るとして、メーカーと問屋の違いって、どうなのでしょうか? だって本郷内では、

メーカーから直接仕入れることが可能なのですよね? じゃあ問屋は、いらないんじゃああないかと、

思いますよね。初期の頃は、自分の得意商品のある販売店が、問屋も兼ねていました。病院への販売も

するし、同業者に卸し売りもする、という形態ですね。現在でもそういうお店、ありますね。でその後、

この本郷にも、専業の医療器械問屋が生まれた原因は、医療器械の進歩・発展・拡大によるんです。

発展拡大によって、本郷では作っていない、様々な商品が、病院で必要な医療器械になって行ったのです。

(ホーロー容器とか、細かいものが多かったようです。)それらの商品を、本郷内や全国の医療販売店が、

一緒に仕入れることが出来るように、医療器械の卸し問屋が、発展して行ったのでした。専業卸し問屋は、

販路を全国の器械店に向けたため、扱う商品は、どんどん増えて行きました。こうしてここにさえ来れば

(お金さえあれば?)、医療器械は何でも揃う、という本郷が成立したのでした。 この本郷の特殊事情が、

その後、新興の医科器械店を支えて行くことになるのです。メーカーから仕入れられない商品があっても、

本郷に来れば、何故か手に入ってしまうんですねえ。メーカーが言うんですよ、「悪いがウチから直接は

卸せないが、~器械店なら多分卸してくれるよ。」と、、、。 もちろん当然高いですよ。でも高くても、

それでも商売は、成り立っていたんですねえ。当時はそれほどまでに、医療器械の商売は儲かっていた、

ということの証左なのでした。(次回へ)