眼底カメラと視力計のレンタルを、しぶとく続けている、眼底メディカルです。
レンタル使用の中古眼底カメラの販売も、行っております。いつもブログをご覧
頂き、誠に有難うございます。
戦後、医療機器メーカーの販売代理店網政策により、雨後のタケノコのごとく、
全国各地に発生した医療機器販売店が、大手の総合医療機器販売店と、比較的
小規模の専門業者に分かれて行ったという、前回までのお話しの続きであります。
どうして、最初は小さな医科器械店が、大規模な販売会社に拡大して来たのか?
については、医療用具の使い捨て化(ディスポ化)の流れと、密接な関係があり
ますし、高度な医療機器の相次ぐ出現は、分野ごとの専門業者の発展を促しました。
以前のブログで、80年代以降の眼科機器発展の歴史をご紹介させて頂きましたが、
眼科分野だけではなく、整形外科分野や、循環器科、内視鏡科、放射線科などなど、
あらゆる分野で、専門の先端医療機器が誕生し、新たな専門業者も現れて来たのでした。
で、それとは別に、様々な使い捨ての医療器具を供給するメーカーも、続々と現れて来ました。
それまで水銀体温計のメーカーであった医療会社が、1960年代の日本高度経済成長の時期から突然、
使い捨ての注射器の製造販売を始めます。そしてこのメーカーの代理店であった各地の医療器械店は、
飛躍的に売り上げの規模を伸ばして行きました。つまり、全国の医療施設で一斉に、医療器具類の
使い捨て化(ディスポ化)の波が始まったのでした。その理由・目的は、感染の予防のためでした。
私の子供時代、注射器はガラス製で、使いまわしでしたよ。また消毒は、煮沸消毒というやり方でした。
ですからその頃の消毒用医療器は、ぐつぐつと注射器や針を煮るという、煮沸消毒器という器械でした。
(今はもう無いですよ。滅菌とは程遠い、消毒法だったのです。)
その後、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌器)滅菌に変わって行きましたが、ガラス注射器そのものが、
今や無くなってしまい、プラスチック製のディスポーザブル注射器に置き換わっています。
他の医療器具も同様でした。あっという間に、注射器だけでなく、針もチューブ類も、ガーゼも覆い布も、
何から何までディスポ化して行きました。(再生利用するための人件費コストの方が、高かったのですね。)
高度経済成長時代は、モノの大量生産・大量消費が時代の始まりでしたから、病院のディスポ器具類も、
ちょうど時代にマッチしていたのですね。
様々な医療器具のディスポ化が進行するにつれ、大型病院等の医療施設では、毎日大量の医療消耗材料を消費
するようになり、医療器具販売店は、毎日大量の医療消耗材料を病院へ納品しなければならなくなりました。
こうして、各地の大型病院等へ、毎日大量の医療消耗材料を運搬する、大型の医療器具販売会社が、各地に出現
するようになったのです。私が定年まで在籍していた会社も、実はこのような大型医療機器販売会社でした。
この頃は、医療器械屋さんにとっては、売り上げ金額も収益も大きく伸び、良い時代であったと思います。
ところが、医療の高度化と、このディスポ化・院内大量消費が、その後大病院の経営を、大きく圧迫するように
なって行きます。(もちろん、ディスポの器具だけが原因じゃあないのですが、、、。)
(更に次回へ。)

コメントをお書きください