医療器械屋さんについて、Ⅲ

 健診用眼底カメラのレンタルとともに、中古眼底カメラの販売も始めました、

眼底メディカルです。いつもブログをご覧頂き、誠に有難うございます。

さて、病院の出入り業者であります、医療器械屋さんのお話しの続きであります。

    

所謂医療器械全般を扱う、医療器械屋さんが、戦後に、雨後のタケノコのように全国各地

に出現して参ります。この理由は、前回のブログでも申し上げましたが、本郷の?、医療

機器メーカー各社による全国販売網の整備(代理店制度)によって販売店網が、拡大して行きました。特に戦後は、レントゲン装置とか麻酔器などの大型医療機器が、ぞくぞくと

出現して来ますので、それらを一挙に全国普及させるため地方販売店だったのでした。またこのような最先端医療機器は、販売だけではなく、アフターメンテナンス体制も必要でしたから、従来からの医薬品卸し店では、販売が難しくなって来ていたのでした。

でもそれじゃあ、各メーカーさんが、それぞれ全国に支店網を作ればいいじゃないかと、

思いませんか? でも残念ながら、個々のメーカーさんとしては、全国に支店を出せるほどの

売り上げ規模ではなかったのですね。代理店と呼ばれる各地の医療器械店に、販売・メンテナンスを

お願いするしかなかったのでした。地方では、メーカーさん、売って頂く、弱い立場だったのですね。

こうして各地方には、総合的に医療器械全般を販売する、~医科器械店が出来上がります。

という形で、それぞれの地方に、有力な医科器械店が育って参りますと、今度はちょっと奇妙な

現象が起きて参ります。東京では激烈なライバル関係にあるA社とB社の同等製品なのですが、

地方では両方とも、代理店であるひとつの有力医科器械店が、「どちらにしますか?」と、販売して

いるのです。これはメーカーさん側としては、おもしろくありません。そこでメーカーの販売担当者は、

有力医科器械店の有力病院を顧客に持っている営業担当者に対し、「ウチが応援するから、独立しない?」

などと、甘いささやきをすることになりまして、医療器械販売店は、全国に乱立することとなるのでした。

昭和初期の頃は、~医科器械店という名称が多かったのですが、戦後は、~メディカルなどの名称が、

全国各地にたくさん出来ましたね。(あ、眼底メディカルも!?)

 

で、医療器械販売店がたくさん出て参りますと、今度は生き残りが大変になります。独立をそそのかされた

メーカーさん1社だけの応援では、とても食べて行くことは難しいのです。そこで、販売店間に、大手と弱小が

形成されて行きます。(もちろん、売り上げ規模が大手になる理由は、もっと別にあるんですけれど、、。)

大手とは、県単位ぐらいの規模で、多数の病・医院を顧客としている医療器械販売店で、弱小とは、市単位

ぐらいで、ごく少数の顧客丸抱えで、生計を立てているような販売店、というイメージですかね。

で、医療器械ならば何でも扱う大手医療器械販売店は、大病院という市場顧客さえ確保しておりますと、ある

一定の売り上げ高は、あらかじめ見通せるものですから、商売のやり方がどうしても、受け身の姿勢になって

しまいがちです。

そこで弱小医療器械販売店は、何でも扱う総合販売を止めて、販路拡大のため、器械の専門性を追求する方向

へ向かいます。 所謂、専門業者の誕生です。専門業者の商売は、どちらかと言うと、攻めの姿勢ですね。

例えば、歯科専門店、眼科専門店、放射線専門店、循環器専門店等々、ですかね。

 

それでは、従来からの有力総合医療器械販売店は、どうなって行ったのでありましょうか?

(次回へ)