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前々回のブログで、私の職業である、医療機器販売業の歴史について、少し書かせて
頂きました。そんな医療器械屋さんのお話しの続きを、再開させて頂きます。
日本橋の薬種問屋から、のれん分けしてもらい、東大医学部の門前である本郷に集結
した医療器械屋のご先祖たちですが、最初は手術道具を作成する職人の集まりであった
訳なのですが、だんだんと産業になるにつれて、本郷という街が形成されて行きます。
つまり、分業と協業による産業の発展です。(学校の教科書みたい?)
最初は一人の職人が色々な手術道具を、医者から言われるままに、こしらえていた訳
ですが、仕事が増えて参りますと、得意不得意が出て参りまして、それぞれが自分の
得意専門分野に集中するようになります。これが、医療機器メーカーの誕生に繋がって
行きます。そして最初は、金属加工が中心であった医療器具に、工業技術の発展により、
ゴム(チューブ類)加工や、ガラス(注射器・点滴瓶)加工などが加わり、分業と協業の
生産体制が出来上がりました。分業と協業ですから、狭い本郷界隈に、密集していなければ、
製造作業が、お互い、はかどらなかったのですね。
さて、そのように作られた医療器械の商売の方は、当時はどうであったか? と申しますと、
最初は受注生産でしたから、店舗など無かったのですが、産業化して参りますと、自分達の商品を、
店舗に並べるようになります。という訳で、店舗が形成されて来ますと、昔(明治・大正期)の
お医者さん達は、医療器械を購入するために、本郷を訪れていたのでした。医院開業の時などは、
何日もかけて、本郷のお店を何軒も廻ったようです。
地方のお医者さんや、それ以外の購入方法としては、医学会誌の広告による通信販売や、医学会の
会場での展示即売などでした。つまり、お店を出していたのは、医療器械メーカーなのでありました。
もっと言うと、医療器械全般を扱うような医療器械店(販売店)は、当時まだ存在しなかったのですよ。
本郷以外の地方では、薬種問屋から発展した地場の医薬品店が、医薬品を卸す片手間で、医療器械の
販売も行っていました。また当時は、今のような大型の医療器械なんて、ありませんでしたからね。
往診かばんに入るような器具(道具)ばかりでした。(当時は医道でしたから、道具なのです。)
で、所謂、医療器械販売店(ディーラーさん)が現れたのは、昭和に入ってからであると、思います。
それも本格化したのは、戦後のことです。理由は、全国的医療水準の均一化と、医療器械の使い捨て化
があります。昭和初めの国民医療保険制度の確立により、全国の医療水準の均一化のため、日本全国
どこでも、本郷の最新医療器械?が使えるように、医療器械の販売店網が、整備される必要がありました。
そこで考え出されたのが、メーカーの代理店・特約店と呼ばれる、医療器械販売店網の整備でした。
(戦前の医科器械販売店は、遠く樺太や朝鮮にまでも、行っていたみたいですね。)
そして更に、注射器の使い捨てから始まり、注射針や点滴チューブ、ガーゼ類等、あらゆる医療器械が
滅菌・ディスポーザブル化され、大病院では、毎日大量の商品配送も必要になって来ました。こうして、
総合的な物流医療器械販売店(器械屋さん)が、広く全国各地に登場することになった訳です。
こちらはもちろん戦後のお話しです。さて、医療器械屋さん達は、その後どうなるのでしょうか?
(次回へ。)

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