内科健診用眼底カメラと視力計のレンタルを、しぶとく続けております、眼底メディカル
です。いつもいつもご訪問頂き、大変恐縮であります。
実は私、昨年まで36年間、医療機器販売会社に勤務していた訳なのですが、お得意様である
病院・医院の方々は、我々のことを、よく医療器械屋さんと呼ばれておりました。あるいは
もっと簡単に、器械屋さんとも呼んでおられました。多分、もう一方の側には、薬屋さんが
いましたかね。所謂この器械屋さんと薬屋さんが、日常頻繁に病院に出入りする、業者さん
の代表格だったのでしょうね。まあ昔の呼び方です。本日はそんな、器械屋さんのお話しを。
私が入社した1980年代頃までは、何故か医療器械屋は文京区本郷に、そして古い薬問屋は
中央区日本橋界隈に、集中して存在しておりました。現在は、色々な地域に点在しています
けれど。でもどうして同じ場所に集中していたのだろう?と、調べてみたことがあります。
まあ元々東京は、江戸の昔より職人の街でしたから、職種商品によって街が形成されて行き
ました。今でも、食器ならばかっぱ橋とか、仏壇仏具なら田原町、宝石でしたら御徒町、
という風に、それぞれの職種商品で、街が形成されていますよね。(全部、台東区内!)
で、調べた結果では、我々医療器械屋の先祖は、江戸時代までは薬屋(薬種問屋)の一部門
として、日本橋本町界隈に集まっていたそうです。(彼ら自身は、薬好きの徳川家康に付いて、上方から江戸に、渡って来たようですけど。)その後明治期になりまして、東大医学部
の開設により、器械部門が薬屋から分離独立しまして、東大の門前である本郷界隈に、集まる
ようになったそうです。その際、多くの器械職人は、元居た薬屋の屋号であった「いわしや」
を名乗ったそうで、現在でも古い医療器械店には、「いわしや」の屋号の付くお店が、全国に
数多く存在します。皆さん薬屋からの、のれん分けだったんですね。当時の薬屋が、薬の調合
が主体であったのと同様に、医療器械屋は、針やメス、ハサミなど手術道具の作成が中心でした
から、皆さん職人さんだったんですね。つまり本郷は、医療器械屋という、職人の街だった訳
です。そして皆さん、本郷という地に、強いプライドを持たれていたようです。それが証拠には、
そのような古くからの老舗の医療器械店の看板や広告には、「いわしや~器械店 東京・本郷」
なんて、よく書いてありましたから。(まあ昔の話しですが、、、と言っても80年代でしたよ。)
本郷の医療器械店は、全国ブランドでもあったようです。何と80年代初めまで、MICと呼ばれる
手術器具のバイブルみたいな総合カタログがありまして、発行元は、本郷の医科器械組合でした。
で、欲しい手術器具があると、本郷のどこの器械屋さんでも、MICの何番で、欲しい商品が通じた
のでした。(今では、ウチじゃあない!とか言われそうですけどね。)職人同士の繋がりですね。
その後、医療器械店は、東大など大学や学科との結びつきを強め、器械の専門性を追求してゆく
メーカーと呼ばれるグループと、各地の病院全体との結びつきにより、医療器械の販売に特化
してゆくグループに分かれて行きます。そのあたりの流れは、次回へ。

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