「奈良」姓・家名の由来・歴史を訪ねて、のご挨拶    2019年8月14日~

元眼底メディカルの「奈良」と申します。埼玉県越谷市在住で、現在は66歳です。2年程前

まで、眼底カメラと視力計のレンタル店をやっておりましたが、現在は、アルバイトと年金

で暮らしております。出身は、北海道は室蘭市の生まれで、高校まで過ごしました。

 

そんな私が、自分の姓、奈良と言う名字に関心を持ったのは、十数年前に、まだ存命であった親父から、このような写真を見せられたことから、だったのでした。古い墓石の写真ですね。親父からは、ウチの先祖の墓の写真だと、聞かされました。墓石の所在地は青森県南津軽郡

藤崎町で、弘前市の隣り町であるそうです。(2022年に、初めて訪問させて頂きました。)

まあ当時の私の印象は、「へえ、ウチのご先祖は、青森からやって来たんだ。」ぐらいの感じ

でした。もちろんウチの奈良家の墓は、親父を含む当時の親戚一同が金を出し合い、室蘭市内

の墓地に、既に真新しい墓石を建てておりました。多分、親父達の父母、つまり私の祖父母の

墓が無かったので、自分達も入るために、新しい墓を建てたのだろうと、思っています。

つまり、奈良姓の私の祖父は、明治の終わりか大正初期に、青森県藤崎町から、北海道室蘭市

へと、何があったのかは存じませんが、移住して来たらしいことが、判ったのでした。

そして祖父の名前は奈良源太郎、曾祖父は奈良儀作、高祖父の名は奈良清助、更にその上5世の祖が、奈良源三郎であった、と言うのが、親父達が依頼した、家系調査会社の調査結果報告でした。

現在の戸籍調査では、明治時代の戸籍までは、辿ることが可能なんですね。江戸時代になりますと、

戸籍が無いので、寺の過去帳などを調べなければならないようで、調査は断然難しくなるようです。

それでウチの調査も、5代前の高祖父、源三郎までしか判らなかったのでした。まあしかし、写真の墓石の

名前の方も、奈良源三郎なのですから、まあはっきりと整合性は、取れているように思われるのでした。

 

ところがなのです、親父の死後、遺品の整理をしている際に、私のお袋が、この写真について、ぼそっと

言ったのでした。「この墓石は、ウチの先祖の墓じゃあなかったそうだよ。墓地には奈良家の墓がたくさん

あって、訪問当時のお寺の住職さんも、ウチの奈良家の墓が、どの墓なのか判らず、結局一番それっぽい

この墓を、ウチの先祖の墓なのだろう?と、みんなで記念写真を撮っただけだった!、らしい。」と言う話し

だったのでした。お袋は親父から、青森県藤崎町訪問当時の、真相を聞いていたのでした。

これはびっくりな話しでした。だって、江戸時代に生まれ、明治初期に死んだ高祖父の名前が、奈良源三郎

だったんですよねえ?。更には家系調査会社から送られて来た明治時代の戸籍簿の写しにも、奈良源三郎と、

名前が書いてあるのですよ。それがどうして、寺の住職は、ウチの奈良と違うらしい?と言えるのか、本当に

判らなくなりました。その墓地には、奈良の墓がたくさんあって、と言うのも、実に気になりますしねえ。

奈良源三郎と言う名前は、当時の藤崎に、たくさんいたのですかねえ?

 

それで私は、真相を探るために、奈良という姓、名字の由来・歴史を調べてみようと、思い立ったのでした。

有名人でもない個人の歴史を調べるよりは、名前の由来や歴史を調べる方が、謎の真相に迫れるのではないかと、

考えたのでした。この謎を解き明かすために、この出発点からスタートし、私がどのような調査アプローチを

辿ったのか?を、お示ししようとするのが、この新しいホームページ・ブログのテーマになります。

さて、「奈良」と言う姓(名字)には、どんな歴史・秘密が、隠されていたのでしょうかね?

もしこのようなテーマにご関心をお持ちの、特に奈良姓の方々は、今後のこのブログを、是非ともご覧頂ければ

と思います。 

 

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